仏 教 と現 代

當年行疫流行神

 新型コロナウイルスの感染が少しずつ収まっているかに見えます。しかし第2波の懸念はぬぐえませんので、引き続き警戒しながらの日々が続きそうです。

 さて、こういう時期ですので、疫病と日本仏教との歴史について調べてみることにしました。分かったことは、「仏教の歴史は思った以上に疫病の歴史だった」ということです。疫病なくして日本仏教はないと言っても過言ではありません。そのあらましを皆さんにも見ていただきましょう。

 まず、そもそも仏教は疫病とともに日本にやってきました。仏教伝来は一説に538年といわれていて、このとき崇仏派の蘇我氏が寺を建立したら疫病がはやり、それを排仏派の物部氏が仏教のせいにして仏像・寺院を破却したら今度は「瘡(かさ)」(おそらくは天然痘)が流行したと『日本書紀』に書かれています。これを客観的に読めば、仏教とともに渡来系の人々が来日し、国際交流が盛んになったことで、感染症も同時に流行するようになったということです。グローバル化と感染症のセオリーがここでばっちり顕れているのです。

 その後、飛鳥時代を通じて仏教は「病気」とともに定着していきます。607年、聖徳太子が用明天皇の病気平癒祈願のため法隆寺を建立しました。創建当時の法隆寺の本尊は薬師如来だったといいます(=右写真)。657年、中臣鎌足が重病になり、百済の禅尼が「維摩句」を読経し治癒したことで、興福寺が建立されます。680年には、天武天皇が皇后(持統天皇)の病気平癒祈願のため薬師寺を建立しました。古代の大寺は薬師如来が本尊であることが多いのも、仏教定着が病気平癒と関係が深いことを示しています。

 続く奈良時代は、まさに疫病と仏教の時代です。726年には日本各地で疫病が発生(このときはやったのはマラリアだといわれており、稲作の普及が関係したと考えられています)。続いて735年には痘瘡(天然痘)がまず大宰府で流行します(ここからも国際交流と疫病の関係が読み取れますね)。このとき大宰府の観世音寺で「金剛般若経」が読誦されましたが、その甲斐むなしく全国に蔓延。朝廷は全国の寺々で「大般若経」を読経させるものの効果なく、政府中枢の藤原四兄弟が相次いで病死します。聖武天皇は「金光明最勝王経」による祈祷を行うなど仏教を用いて必死で疫病を終息させようとし、ついにはかの有名な「奈良の大仏」が造られることになりました。741年に国分寺・国分尼寺建立の詔が出され、続く743年に大仏造営の詔が発せられます。752年の大仏開眼供養では大規模な国際的イベントが開催されますが、ひょっとしたらここも感染源になったのではと思うと笑えません。

 聖武天皇のパートナーである光明皇后も、聖武天皇以上に仏教に熱心だったといわれています。藤原氏出身の光明皇后は、興福寺や皇后宮職(現・法華寺)などに施薬院・悲田院を設置し、病人や貧窮者の救済にあたりました。また千人の垢を洗う誓願を立て、千人目の病者(ハンセン病者?)が阿しゅく如来になったという説話も知られています。

 なお、病気平癒のために写経をするという習慣もこの頃からだそうです。東大寺などには「写経生」と呼ばれる写経専門の僧侶たちがいて、疫病がはやるたびに写経をさせられました。彼らは長時間、密集した状態で写経をするので、いろいろな病気にかかったといわれています。「誰も写経生のために写経する人はいなかった」と文献にあるらしく、これも笑えない話です。

 次の平安時代は、空海と嵯峨天皇の活躍で幕を開けます。818年、干ばつ・疫病が発生した際、動揺する嵯峨天皇に対し、空海が「般若心経」の写経を勧めました。このエピソードはこのコーナーで何度も紹介しているので詳細は割愛しますが(詳しくは「嵯峨天皇と般若心経」)、この写経によって疫病が収まったといわれていて、嵯峨天皇は後の天皇たちから「民のために祈る天皇」のモデル的存在として語り継がれていくことになります。ちなみにその嵯峨天皇は「世間のこと、物怪(もののけ)あるごとに祟りを先霊に寄す、これ甚だ謂われ無き者也」なんていう言葉を残していて、つまり「天変地異を先祖の祟りのせいにするのはやめよう」と言っているのですが、その点に関しては後世の人にほとんど顧みられなかったようです。

 そんな平安時代も相変わらず疫病が続きます。863年には京でマラリア、天然痘、インフルエンザ、赤痢、麻疹とフルコースで疫病が発生。まさに「先霊の祟り」を恐れた朝廷は「御霊会」を開催しました。しかしその後も富士山が噴火したり、869年には貞観地震が起きたりして、このままではいけない、より強い神を拝まなければということで、祭神を牛頭天王(ごずてんのう)とする御霊会が開かれました。これが今に続く「祇園祭」の起源だといわれています。牛頭天王はブッダの僧園である祇園精舎の守護神とされている仏教の神様で、いつしかスサノオと習合して疫病封じの神様となっていきました。つまり祇園祭は、疫病平癒のために、仏教色の濃い行事としてスタートしたわけです。それが明治維新の神仏分離令の際に、「神社が仏教系の神を祀るなんてケシカラン」ということで、「祇園社」だった社名を「八坂神社」と変え、祭神も牛頭天王からスサノオにチェンジとなったわけです。今年、コロナの影響で祇園祭が開かれなかったことは、なんとも皮肉なことです。

 平安時代のトピックとして、「物忌み」もあげておきましょう。平安貴族は人畜の死、出産、疫病などがあると、一定期間、他人と会わず引きこもる慣例がありました。例えば1181年、九条兼実の屋敷では年3回の五体不具穢(犬などが墓あらしをして死体の一部を敷地に持ち込むというケガレ)があり、それぞれ7日間の「物忌み」をしたと記録に残っています。当時は感染症の具体的な原因は不明で、とにかくそのおそれがある時は一律に機械的に自宅待機となったわけです。後々これが貴族の生活をがんじがらめにしていくので、いかにも非科学的な迷信のようにいわれますが、よく分からないなりの経験則的な知恵だということもできるのではないでしょうか。いわば「平安のステイホーム」というわけです。

 そして平安後半になると、飢饉・日照り・水害・疫病・戦争が頻発し、仏教がすたれるという「末法思想」の広がりとともに、地獄絵などがよく描かれるようになりました。すると、せめてあの世だけでもいいところに行きたい、阿弥陀如来に救ってもらって極楽往生したい、という「浄土信仰」が浸透していきます。これも、疫病がなければ浄土宗・浄土真宗はなかった、といえるでしょうか。

 鎌倉時代には、ハンセン病(らい)とのかかわりで活躍した僧侶たちが知られています。例えば『一遍聖絵』にハンセン病者が描かれていることは、一遍の人となりが表れていて興味深いです(=左写真)。また真言宗にもなじみがある叡尊(えいそん)や忍性(にんしょう)といった律宗の僧侶たちは、ハンセン病者らの救済事業を大々的に行い、幕府からも財政支援を受けるようになりました。ただし中世の仏教者は、ハンセン病者を阿しゅく・文殊の化身であるとして救済対象と見なす一方で、「前世で仏教を誹謗中傷した報いを受けたのだ」などとして、輪廻思想に基づき強烈な差別の固定化を進めました。こういうことからも、輪廻がいかに罪深い思想なのかを仏教者は知るべきでしょうね。

 さて、近世になると疫病対策としての国家的な仏教事業は少なくなりますが、疫病神を祀る習慣は幕末まで続いていきます。そして興味深いのはコレラと明治維新との関連です。1822年にコレラがオランダ船から長崎に流入し、少しずつ感染を広げていく中で、徐々に「外国人は危険だ!」という風潮が出てくるようになり、それが攘夷思想や国学に発展していったといわれているのです。つまり明治維新はコレラがきっかけの一つだったというわけです。仏教は明治維新による神仏分離令・廃仏毀釈で大打撃を受けていますが、これもひいてはコレラのせいだと思うと、「本当に恐ろしいのは疫病なのか?」と問わざるを得ません。

 最近、先輩僧侶から「當年行役流行神(とうねんぎょうやくるぎょうじん)」という言葉の意味するところを聞きました。これは法会の願文や修法の表白文などに頻出する言葉で、「今年流行する疫病の神様」という意味です。つまり感染症を退散させたり撲滅したりするのではなく、神として祈るという考え方なのです。ここには主に3つの意味がこめられていると私は感じます。

 第一に、しょせん人間は自然の猛威を完全にコントロールするのは不可能であるということ。ウイルスを完全に撲滅するなど不可能であり、適度な距離感で共生するしかないということです。自然破壊による新たな感染症が起こっていることを考えても、我々は自然に敬意を払わなければならないと分かります。

 第二に、疫病=神様ということは、災禍もあれば福徳ももたらすということ。コロナ危機によって新たな気付きを得た人は多いでしょうし、自然環境がいくらか改善したという報道もあります。コロナ危機が現代社会の課題を浮かび上がらせた面もあります。疫病の発生を前提とする社会は、ほどよくゆとりがあって、人間には生きやすい社会なのかもしれません。また大きな話でいえばウイルスは生物の進化に影響を与えているともいわれています。逆に過度な殺菌・消毒文化は人間の免疫力を弱め、また耐性菌の登場を許すことにつながります。小惨事の撲滅は大惨事を招くかもしれないのです。

 第三に、「本当に恐ろしいのは疫病なのか?」ということ。自粛警察や県外ナンバー攻撃、マスク転売屋などの報道を耳にすると、本当に恐ろしいのはウイルスではなく、敵を探して攻撃をしたり差別をしたり一儲けしようとしたりする人間の心ではないかと思えてしまいます。特にこのたびの日本政府の混乱ぶりと、危機に乗じて利益誘導を図ろうとする浅ましさには驚くばかりです。嵯峨天皇が写経をしたことによって疫病が収まったというのは決して荒唐無稽なことではないと、政府の対応を見ながら確信しました。危機対応にあたる指導的立場の人が、いかに冷静さを保ち、自らを律し、民の暮らしを思い、信頼に値する人かということが、疫病平癒にとってどれほど重要なことなのか痛感します。

2020年6月21日 坂田光永





《バックナンバー》

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○ 2020年4月21日「グレーゾーン遺体」
○ 2020年3月21日「本当に恐ろしいのはウイルスか」
○ 2020年2月21日「仏教者こそ科学を学べ」
○ 2020年1月21日「南方熊楠と真言密教」
○ 2019年12月21日「中村哲さんを悼む」
○ 2019年11月21日「靖国神社に参拝する」
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○ 2019年5月21日「一遍聖絵と時宗の名宝」
○ 2019年4月21日「中寿」
○ 2019年3月21日「お墓の歴史」
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○ 2019年1月21日「梅原猛と空海」
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○ 2018年9月21日「明治150年というけれど」
○ 2018年8月21日「オウム事件は終わらない」
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○ 2008年4月21日「聖火の“燃料”」
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○ 2007年8月21日「目覚めよ密教!」
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○ 2007年4月21日「空海の夢」
○ 2007年3月21日「無量光明」
○ 2007年2月21日「よみがえる神話」
○ 2007年1月1日「伊太利亜国睡夢譚」
○ 2006年11月21日「仏教的にありえない?」
○ 2006年10月23日「天使と悪魔 ~宗教と科学をめぐる旅~」
○ 2006年9月21日「9/11から5年」
○ 2006年8月23日「松長有慶・新座主の紹介」
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○ 2006年6月21日「捨身ヶ嶽で真魚を見た」
○ 2006年5月21日「キリスト教と仏教と「ダ・ヴィンチ・コード」」
○ 2006年4月21日「最澄と空海」
○ 2005年9月23日「お彼岸といえば…」
○ 2005年7月21日「お盆といえば…」
○ 2005年4月21日「ねがはくは花の下にて春死なん…」
○ 2005年3月21日「ライブドアとフジテレビと仏教思想」
○ 2005年1月21日「…車をひく(牛)の足跡に車輪がついて行くように」
○ 2004年8月21日「…私は、知らないから、そのとおりにまた、知らないと思っている」
○ 2004年7月21日「鈴と、小鳥と、それから私、みんなちがって、みんないい。」
○ 2004年6月23日「文殊の利剣は諸戯(しょけ)を絶つ」
○ 2004年5月21日「世界に一つだけの花一人一人違う種を持つ…」(SMAP『世界に一つだけの花』)
○ 2004年4月21日「抱いたはずが突き飛ばして…」(ミスターチルドレン『掌』)
○ 2004年3月23日「縁起を見る者は、法を見る。法を見る者は、縁起を見る」
○ 2004年2月21日「…犀(さい)の角のようにただ独り歩め」
○ 2004年1月21日「現代の世に「釈風」を吹かせたい ―心の相談員養成講習会を受講して―」
○ 2003年12月21日「あたかも、母が己が独り子を命を賭けて護るように…」
○ 2003年11月21日「…蒼生の福を増せ」
○ 2003年10月21日「ありがたや … (同行二人御詠歌)」
○ 2003年9月21日「観自在菩薩 深い般若波羅蜜多を行ずるの時 … 」
○ 2003年8月21日「それ仏法 遙かにあらず … 」



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