仏 教 と現 代

土砂加持の秘法

 「土砂をかけたような」という慣用句をご存知でしょうか。普段それほど使わないかもしれませんが、強情な人が態度をやわらげたり、強気な姿勢が弱まったりすることを指す表現です。これは「土砂加持」(どしゃかじ)という密教儀礼に由来する言葉です。

 7月6日(月)、高野山真言宗広島青年教師会の事業として「土砂加持法会」が行われました。私は名誉住職の葬儀を終えたばかりでしたが、会長を務めている手前お役目から逃れるわけにもいかず、なんとか出仕しました。おかげさまで法会は無事に執り行うことができました。

 この法会で私は「過去帳文」を担当。通常の法会の「願文」にあたるこの役は、法会の趣旨を述べる大事なお役目です。私はここに、新型コロナウイルス感染の終息と感染者の病気平癒、また過去2度の豪雨災害の被災地復興、そしてそれぞれの物故者追福の思いを盛り込みました。名誉住職の葬儀が終わったその夜から文章をしたため、ギリギリのところで仕上げたのが、上に掲載している画像です(フリガナをうっているのがお恥ずかしいですが)。

 土砂加持とは、清らかな白砂(土砂)を本尊の御前に安置し、舎利礼文や光明真言を唱えて土砂を加持する法会です。もともと仏教の祈りは、釈尊が入滅した後その遺骨(仏舎利)を弟子たちが分け持ち、各地で舎利塔を建てて供養したことが発端です。仏像をつくって祈るのはずっと後の時代のことで、仏舎利信仰こそが仏教信仰の始まりであり、舎利塔こそが現在のお寺や仏塔の原型だといってもよいものです。

 ただし仏舎利はその量が限られます。そこで密教では、浄地(前人未到の地)から採取され浄められた白砂(土砂)に祈りを込めることで仏舎利に匹敵する功徳が得られるという「土砂加持」という法会を編み出しました。そして、真言密教の伝来とともに秘法として伝えられ、中世の明恵上人が重視したことで以後広く行われるようになります。明恵上人は、同時期の法然上人が実践した易行念仏を批判し、真言密教の易修易行として光明真言念誦と土砂加持を提唱しました。土砂加持は、浄土教と阿弥陀信仰の広がりの中で、その真言密教バージョンとして定着していったのです。

 この土砂加持によって加持された土砂は、死者の遺体や墓にまくと死者の罪を消除すると教えられます。そこから、死後硬直した遺体にふりかけると体が柔らかくなるという伝承が語られるようになりました。実際にその現場を目の当たりにした人も出家・在家を問わず数多く存在します。冒頭の「土砂をかけたような」という慣用句があるぐらいですから、土砂加持の功徳はかなり知られていたと分かります。

 現在、真言宗の寺院で行われている一般的な土砂加持法会は通常1~2時間程度ですが、それは「一座土砂加持」という略式の法会で、正式には「六座土砂加持」、つまり一座法会を6回繰り返すのが本義です。これは六道輪廻のすべての衆生を癒すためだといわれています。もし正式に六座を行うとすれば朝から夕方まで数時間かかり、お勤めする僧侶も25人以上必要という、まさに大法会です。

 私たち高野山真言宗広島青年教師会の全国組織である高野山真言宗青年教師会は、今年度の一大事業として、秋に高野山でこの六座土砂加持を修するという方針を打ち出しました。そのため檀信徒の皆様に土砂加持写経を勧募させていただきました。7月6日に私たちが行った一座の土砂加持も、この高野山での六座土砂加持の前行という位置づけでした。

 しかし、新型コロナウイルスの猛威は衰えることなく広がっており、残念ながら全国の真言青年僧を集めた大法会は開催不可能となってしまいました。そこで私たちは、広島青年教師会という地方のいち青年会でありながら、11月に六座土砂加持法会を修することを決めました。

 図らずも7月6日の土砂加持法会の日、九州地方を中心として激しい豪雨災害が発生し、多くの方が亡くなりました。近年頻発する豪雨災害は、地球温暖化(気候変動)によって極端になった雨が、山の保水力の低下によって激流となり、「ダムで治水」という旧態依然とした対策が被害の拡大に追い打ちをかけていると考えられます。新型コロナウイルスの猛威もいまだ衰えを知りません。土砂加持は死者供養のために行うのが通例ですが、土砂つまり大地の怒りを鎮め、自然そのものを供養する儀礼でもあるはずです。11月の六座土砂加持法会では、さらなる強い思いで祈りを捧げたいと思います。

2020年7月21日 坂田光永





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