仏 教 と現 代

宗教が動かすアメリカ大統領選挙

 今年のアメリカ大統領選挙は、かつてない接戦の末、民主党のバイデン前副大統領が共和党のトランプ大統領を破りました。

 それにしても、トランプ政権の時代は本当に荒れ狂ったハリケーンのような4年間でした。虚言、暴言は数知れず、考えの合わない人物はすぐにクビ。国際社会に対立と分断を持ち込み、自国民のデモには軍隊を差し向けました。挙句いまだに敗北を認めず、次期政権への引き継ぎを拒否しているというではありませんか。

 ただ驚くのは、そんな「非常識」な大統領を、実に7000万人以上の有権者が支持し投票したという事実です。日本にいると、どうしてそれほどトランプ支持が多いのか、ちょっと理解に苦しんでしまいます。

 この謎を読み解く鍵は「宗教」にあるといわれています。宗教を見ていくことで、アメリカ大統領選挙に対する疑問がいろいろと解けてくるでしょう。

 まず、アメリカ建国の歴史から。1776年7月4日に採択された「アメリカ独立宣言」の末尾は、「我々はこの宣言を支持するために、神の摂理による保護を強く信じ、われわれの生命、財産、および神聖な名誉をかけて相互に誓う」と締めくくられています。アメリカを独立に導いた人々は主にピューリタン(清教徒)といわれる清貧で厳格なプロテスタント教徒でした。彼らは本国イギリスから追われるように新大陸に渡り、カトリック教徒や先住民らとの戦いを経て勢力を伸ばしていきました。アメリカは確かに信教の自由がありますが、一方で「ピューリタンが建国した国である」という意識も相当に強いのです。

 一方でカトリック教徒は少数派として差別の対象でした。19世紀半ばにアイルランド移民(カトリック教徒)が増加すると宗教対立が激化しますが、貧困から這い上がったカトリック教徒の中から政財界に進出する人々も登場します。その代表格がケネディ家です。ジョン・F・ケネディはアメリカ史上初のカトリックの大統領でした。

 ケネディ大統領登場以降、アメリカではヒッピー文化やフェミニズムが盛り上がり、宗教的に熱心な人々は危機感を抱くようになります。その中で次第に注目されるようになったのが「福音派」と呼ばれる勢力でした。プロテスタントはメソジストやバプテストなどいくつかの教派に分かれています。福音派はその1つというわけではなく、プロテスタント諸派の中でも「聖書(福音書)に書いてあることが正しい」と考える原理主義的な人々の総称です。彼らは人工妊娠中絶や同性愛を容認するリベラル派に嫌悪感を抱き、対立候補(主に共和党候補)を支持するまとまった勢力となっていきました。

 アメリカの宗教人口比率は、調査にもよりますが、プロテスタント50%、カトリック25%、ユダヤ教2%などとなっています。プロテスタントのうち半分以上が福音派といわれていますので、人口のおよそ30%がまとまった投票行動をとるという、極めて巨大な票田となっています。彼らは投票するだけでなく、積極的に選挙運動に携わります。その福音派が、今回でいえばトランプ大統領の岩盤支持層を形成したのです。

 不倫や女性スキャンダルが絶えず、お世辞にも倫理的とはいえないトランプ氏が、なぜ敬虔なキリスト教徒たちにに支持されるのかはちょっと不可解な気もしますが、トランプ氏が彼らを相当意識しているのは間違いなくて、4年前の当選後には人工妊娠中絶・同性愛反対派の最高裁判事を任命したり、大使館をエルサレムに移転したりして福音派を喜ばせています。賃金の安い移民に仕事を奪われかねない白人ブルーカラー層の多くも、メガチャーチでロックコンサートのようなミサを行う福音派に信仰を寄せており、トランプ氏との相性が良さそうです。また、トランプ氏が暴言を吐くたびに、福音派のカリスマ牧師が「人間はみな罪深い」などと擁護するのも功を奏しているようです。

 さて、今回の大統領候補たちの宗教事情を見ていきましょう。

 まずトランプ陣営。トランプ氏の父親はプロテスタントの長老派の信者で、自身はその長老派教会のピール牧師に心酔していたようです。この牧師はベストセラーの自己啓発本『ポジティブ・シンキングの力』の著者。「勝つためには何でもしよう」という彼の影響は絶大で、今回の選挙でトランプ氏が決して敗北を認めないのも無関係ではなさそうです。ペンス副大統領は元々アイルランド系カトリックだったのが結婚を機に福音派になり、福音派の支持を取り付けるうえで大きな役割を果たしたとされています。またトランプ氏の娘イバンカはユダヤ教に改宗し、ユダヤ人のクシュナー氏と結婚しています。

 一方のバイデン陣営はというと、バイデン氏は史上2人目のカトリックの大統領となります。元来カトリックは保守的なのですが、今はプロライフ派(人工妊娠中絶反対派)とプロチョイス派(人工妊娠中絶を選択肢の一つとする派)に二分されており、バイデン氏はプロチョイス派です。次期副大統領となるカマラ・ハリス氏は、自身はプロテスタントのバプテスト派信者、母親はインド出身のヒンドゥー教徒、夫はユダヤ教徒と、宗教的バックボーンが多彩です。カマラという名前もサンスクリット語で「蓮」を意味し、ヒンドゥー教の女神ラクシュミーの別名です。ちなみにラクシュミーは仏教では吉祥天。「蓮」という名前の副大統領が誕生するとは、仏教者としてもご縁を感じます。

 こんなふうに候補者たちの宗教を見るだけでも興味深いものがありますね。

 アメリカ大統領は就任式の際、聖書に手を置いて宣誓をします。アメリカ人の4割が進化論を信じていません。そんなアメリカで大統領選挙を動かしているのは、まぎれもなく宗教なのです。

2020年11月21日 坂田光永





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