仏 教 と現 代

天平のワクチン

 あるテレビ番組で、奈良時代の仏教や大仏建立が取り上げられていました。そこで歴史学者が「当時の人にとっては仏教経典こそがワクチンだったのではないか」と言っていました。

 奈良時代は疫病の時代でした。特に天平7年~10年は天然痘が大流行し、100万人~150万人が亡くなったといわれています(当時の人口のなんと約3割)。特に中央集権化が進みつつあった平城京は、国中から人や物が集まってきていたため酷いパンデミックに襲われ、政治を司っていた藤原四兄弟がそろって病死するなど国家機能の中枢が麻痺しました。ときの聖武天皇は自分の不徳の致すところだと自責の念に駆られ、疫病終息の願いを仏教に託しました。そして当時、鎮護国家の経典として重用されていた「金光明最勝王経」を書写させ、全国に国分寺を建てさせてそこに収めました。国分寺の本尊は薬師如来でしたので、いろいろな意味でこの事業は「疫病対策」であったといえます。

 さらに奈良の都には巨大な盧遮那仏(るしゃなぶつ)を造立するとの詔を出します。いわゆる「奈良の大仏」です。天平勝宝4年(752年)に行われた「大仏開眼供養会」は、開眼導師としてインドから招いた菩提僊那(ぼだいせんな)をはじめ、中国や朝鮮、ベトナムなど東アジア中から賓客を迎え、各国の音楽や舞踊が披露される一大国際イベントとなりました。現代でいえばオリンピックの開会式のような祭典だったといえるでしょう。仏教の力を借りて国の災禍を鎮めたいという強烈な期待感が、この大事業を支えました。

 ただし、この一大プロジェクトによって国家財政は破綻し、民衆の暮らしは疲弊したともいわれています。また、こともあろうに国際イベントをやってしまったことで、クラスターを発生させた可能性もあります。あくまでウイルスについての知識がほとんどなかった時代の話ですので仕方がありません。正体不明の死の病に対して、人々は祈りの力にすがるしかありませんでした。まさに仏教こそが「天平のワクチン」だったのだと思います。

 ちなにみ人類史において実際にワクチンが登場したのは1796年。イギリスの田舎で「乳母は天然痘にかからない」という農民の言い伝えを調査した医師ジェンナーが、牛痘にかかるとその後に天然痘にかかっても悪化しないということを発見しました。この「種痘」はその後パスツールによって、ラテン語の牛からとった「ワクチン」という名称を与えられます。また日本に種痘が渡ってきたのは1849年。大坂・適塾の緒方洪庵が種痘普及に尽力したものの、「牛痘を打てば牛になる」などの誤解が広がり、なかなか理解を得られなかった話は有名です。

 現代ではワクチンは当たり前の存在となりました。天然痘など様々な病気がワクチンによって征服されました。一方でワクチンに対する抵抗感も一部では根強くあります。私自身、人一倍慎重な部類だと思います。ワクチン全体を否定するつもりは毛頭ありませんが、製薬会社の営業姿勢や薬害エイズなどへの政府の対応を見ていると、いざというとき誰が私や家族を守ってくれるのだろうかと、つい考えてしまうのです。

 さて、新型コロナウイルスをめぐる情勢はワクチンの登場によって大きく風景が変わりました。ワクチン接種率54%のイギリスや47%のアメリカ(少なくとも1回接種/2021年5月20日現在)では、人々が繁華街を闊歩し、日常が取り戻されつつあると報道されています。ところが日本の接種率はたったの3.9%。原因はワクチンに対する抵抗感などではなく、そもそもワクチンの調達が遅かったことや、接種にかかる受付態勢・人員・施設の準備に尋常ならざる時間がかかっていることがあるようです。運搬や保存に失敗して相当な本数をダメにしたとか、自治体の長が「医療従事者」を自称してこっそり先に打ったなど、耳を疑うようなニュースも流れています。

 ワクチン慎重派の私などは、新型コロナを機に政府が「東京オリンピック前のワクチン義務化」を強制してくるのではないかと心配していましたが、何のことはない、政府そのものがワクチンに慎重(?)だったのでした。40代の私に接種券が届く頃にはきっと新型コロナは終息していることでしょう(あるいは次のパンデミックが起きているか)。それまで私たちは、変異株の蔓延にさらされながら、ワクチンなしでこの危機を乗り切ることになりそうです。

 こなってくると、もはや状況は天平の人々とそれほど変わらないような気もします。当時も人々は「物忌み」のような疫病対策を行っていました。現代でいう「ステイホーム」です。そして「禊(みそぎ)」つまり手洗い・うがいをしっかり行い、あとは神仏に祈って「免疫力」を高めたのです。

 とはいえ、政府機関までもが奈良時代の発想であってはさすがに困ります。ワクチン接種の進まない中で日本政府が今いちばん力を入れているのが「東京オリンピック」というのであれば、それはもう恐怖でしかありません。少なくとも聖武天皇のように多少なりとも自責の念に駆られていただきたいところです。

2021年5月21日 坂田光永





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