仏 教 と現 代

渋沢栄一と明治神宮

 NHK大河ドラマ「青天を衝け」を毎週、興味深く見ています。渋沢栄一という人物は知れば知るほど面白く、これほどの業績を残しながら今まであまり知られていなかったことに驚きます。

 第一銀行、日本鉄道、東京商法取引所、帝国ホテル… 渋沢は500以上もの企業・組織を立ち上げたといわれています。その中でもひときわ異色なのが「明治神宮」です。日本一初もうでの多い神社、実はあの渋沢栄一がつくったのです。

 明治神宮の創建は1920年(大正9年)11月。お祀りされている神様は明治天皇と正憲皇太后です。明治神宮は明治天皇崩御後、明治天皇の遺徳を偲ぶためにつくられました。ですので歴史はちょうど100年ほどの、けっこう新しい神社なのです。

 1912年(明治45年)7月30日、明治天皇が亡くなるとすぐ、渋沢は東京市長で娘婿の阪谷芳郎らを集め、「東京に陵墓を」という要請を政府に行います。ところが天皇の遺志は「陵墓は京都に」でした。維新政府の方針で半ば無理やり軍服を着せられ、近代化のシンボルとしてまつり上げられた明治天皇は、実は京の雅な暮らしがお好きだったようで、生涯「京都に帰りたい」という思いを周囲に吐露していたようです。そこで「京都には陵墓、東京には神社」という折衷案が浮上。渋沢はそれこそ渋々「神宮建立」に方針転換し、自ら有志委員会会長に就任しました。

 若き日に尊王攘夷思想に傾倒した渋沢は、後にフランス渡航を経験して攘夷思想は捨てたものの、生涯にわたって尊王家でした。一方で幼少のころから論語に親しんでおり、儒教の合理精神を好む反面、他の宗教にはかなりの忌避感があったといわれています。実際、「世間の或る人々のやうに毎朝先祖を祀つてある仏壇の前に跪いて礼拝することも致さなければ、或る特種の神を信心して之を拝むといふが如き事をも、私は致さぬのである」と語っており、仏教や神道は「迷信」との思いが強かったようです。

 そんな渋沢が神社をつくることになりました。だからというべきか、明治神宮の計画は初期の初期からかなり異色な方針を打ち出しています。それが「内苑」と「外苑」をつくるという方針です。すでに1912年8月の段階で、それは有志委員会の「覚書」に示されています。

 ふつう神社をつくるといえば「内苑」をつくることだと理解されるはず(というか「外苑」がなければ「内苑」という言い方もしない)。ところが渋沢は「外苑」にこだわりました。そこには聖徳記念絵画館、公園、国立競技場や神宮球場などのスポーツ施設などが建てられました。また沿道には街路樹が植えられ、美しい並木道が出現しました。ひょっとしたらフランスのシャンゼリゼ通りをイメージしたのかもしれません。現代用語に「ランドスケープ・アーキテクチャー」(屋外公共空間の構築)という言葉があります。渋沢は、あるいは日本で初めて「ランドスケープ」の視点を持って空間づくりをおこなった人物といえるでしょうか。

 かたや「内苑」についても「渋沢らしさ」が反映されています。内苑の樹木は365種、約10万本あるといわれており、これはなんとすべて人工林。全国から献木を募り、荒れ地だった場所に1本1本、青年団が植樹していったものです。

 当初、神宮を東京につくることには反対論が出ました。理由の一つは「鎮守の森(杜)」の存在です。通常、神社といえば伊勢神宮のような針葉樹林に囲まれているイメージがあります。しかし東京の風土では針葉樹は定着しません。林学者の本多静六は「富士山麓につくるべき」と主張しました。そこで、そもそも「東京につくりたい」とこだわっていた渋沢は本多を呼び、何とか東京でつくる方法はないかと相談。それならということで本多は「常緑広葉樹の森にしよう」と発案します。ときの大隈重信総理大臣が反対するも、理論的に説得して納得させ、同じ林学者の本郷高徳らとともに100年単位の植生計画を立てて植樹を進めていきました。

 本多や本郷はドイツ留学経験があり、当時最先端の林学を学んでいました。ドイツ林学はゲーテやシラーの哲学の影響で「自然が正しい」という思想に基づいていました。本多・本郷はその考えをベースにして、見事、代々木の荒れ地に常緑広葉樹の森を出現させたのです。

 さらに、上記のような経緯は詳細にわたって記録されました。「外苑をどうする」「森をどうする」といった議論はしばしば白熱し、結論も二転三転します。それをきちんと記録し、「なぜそう決まったのか」を後世に伝え、検証可能にしているのです。渋沢とともに明治神宮奉賛会の副会長となった阪谷は、「幾千年の後に、明治神宮を建設したるときには、その当時の学者がいかなる大議論をなしたるかということは、歴史の記録にも遺ることと思います」と述べています。なんという見識の高さでしょう。

 明治神宮は、気鋭の学者や芸術家、政治家や青年団など幅広い叡智と力の結集によって創建されました。その隅々に渋沢イズムがあふれています。

 完成した明治神宮は、1920年(大正10年)11月1日に鎮座祭を迎えます。ただしそこに渋沢の姿はありませんでした。「宗教嫌い」の渋沢はあくまで神道の儀礼には参加しなかったようです。

 一方、渋沢がこだわった外苑には、1940年に予定されていた東京オリンピックのために国立競技場が建設されました。しかし、ご存知の通りそれは「幻の五輪」となります。当時、アジア各地で戦争をおこなっていた日本は、とても五輪を主催できるような資格も能力もありませんでした。渋沢はその前に死去していますが、彼は最期までアメリカとの関係改善を模索したようです。その願い空しく日本は対米戦争に突入し、国立競技場は出陣学徒の壮行会の会場となりました。平和の祭典が行われるはずだった場所は、若者の命を戦地に送り出す場となってしまったのです。

 敗戦後、日本は再びオリンピック誘致に成功します。1964年の東京オリンピックです。このとき国立競技場は建て替えられました。そして今年、3代目の国立競技場を舞台に、東京オリンピックが開催されようとしています。果たして今の日本には五輪を主催する資格や能力があるといえるでしょうか。

 新型コロナウイルス感染による緊急事態宣言が出される中での「東京2020」には、コロナ以前から様々な批判や疑惑が付いて回りました。その1つに、「神宮外苑の再開発利権」疑惑があります。もともと外苑エリアは、神宮の景観を守るという理由で「15m」の高さ規制があった地域です。ところが、五輪誘致に伴って国立競技場は建て替えられるという話になり、コンペでなぜか高さ70m以上のザハ・ハディド案が採用されたのを機に、なし崩し的に高さ規制が「80m」に緩和されました。これによって外苑エリアの不動産価値は急騰。土地を所有する不動産業者などの地権者は巨大な利益を得たというのです。

 すでに神宮外苑にはホテルなどがにょきにょきと建ち、高層ビルの「森」と化しています。この「森」づくりには、ある大物政治家が一役買ったといわれています。文教族だったその政治家は、高さ規制緩和のネックになりかねない明治神宮の宮司に話をつけて「森」づくりに道を開いたのだとか。名前は定かではありませんが、スポーツ業界の重鎮であり、東京五輪の重要な役職に就いていたというから、もしかして…

 地域住民は情報公開を請求するも却下され、規制緩和の経緯や不動産の所有者すら明らかにされていません。真偽のほどは分かりませんが、私には目先の利益を得たいがための近視眼的な開発としか思えません。100年先を見据え、後世に記録を残した渋沢の精神とはまるでかけ離れています。

 「その事業が個人を利するだけでなく、多数社会を利してゆくのでなければ、決して正しい商売とはいえない」。『論語と算盤』で語られた渋沢栄一の言葉が、2021年の東京に突き刺さります。

2021年7月21日 坂田光永





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