仏 教 と現 代

お盆に大習合

 知人の紹介から、夏休み中の子どもたち向けオンライン講座で「お盆」の話をすることになりました。時まさに8月13日という怒涛のお盆行のど真ん中。しかも「5歳の子どもに分かるような内容にしてください」ということで、四苦八苦しました。

 うちで同居する5歳の人に相談してみたものの、「お盆って分かる?」「うーん、ちょっと分からん」「先祖って分かる?」「うーん、分からんわ」。いくらパンタグラフがトロリ線から電気をもらう構造について熟知する5歳児でも、お盆を理解するのは無理っぽい気がしました。結局、10歳ぐらいの子には分かるかな、という内容のお話をさせていただきました。

 さて、これを機に改めて調べてみると、お盆ってのは実に面白い風習だなと再確認しました。世に「神仏習合」という言葉はありますが、お盆はいわば「インド仏教+中央アジアの祖霊信仰+中国の信仰+日本の民俗信仰」の大習合といっていい行事です。

 インターネットで「お盆」と検索すると、今時ですねぇ、お坊さんによるYouTubeがたくさんあって、そのほとんどが「盂蘭盆経」(うらぼんきょう)についての解説でした。いわく、お釈迦さまの十大弟子のひとりである目蓮尊者が、神通力を使って亡くなった母の様子を見ると、なんと餓鬼界に堕ちていることが判明。こりゃ大変、母を救うためにどうすればよいでしょうかとお釈迦さまに相談したところ、「あなたのお母さんは子ども思いの大変優しい人だったが、我が子だけに目をかけたため餓鬼界に堕ちたのだ。だからおまえは、雨季明けに修行者全員に分け隔てなく百味供養をしなさい」といわれ、実際にそうしたところ、目蓮尊者の母は救われた…という話です。

 ただしこの盂蘭盆経は偽経(中国でつくられたお経)といわれており、サンスクリット語の原典は見つかっていません。また内容的にも中国的な「孝」の徳が強調されており、インド仏教とはちょっと別物という気がします。あるいは「盂蘭盆」(うらぼん)の語源についても、これまでサンスクリット語の「ウランバーナ」(逆さづり!?)であるといわれてきました。目連尊者の母親が地獄で逆さづりになっていたからだという理由なのですが、さすがに無理があるんじゃないの、と思っていました。

 ところが最近は、中国に麦作を伝えたイラン系ソグド人の「ウルヴァン」(霊魂)という言葉が語源ではないかといわれているそうです。そこから「祖霊祭」と、麦作地域の「収穫祭」としての「中元」とが結びつき、さらに中国の仏教徒による目連救母説話が付与されて「盂蘭盆経」が成立したというのです。なるほど、これなら納得です。

 中国ではすでに6世紀初めに「盂蘭盆経」に基づく法会が営まれており、僧侶への百味供養が行われていたようです。ちなみに「盂蘭盆」とは文字通り「盆器」のことだと認識されていたらしいです。よく日本では「お盆という言葉は盂蘭盆が縮まったものです」と説明されますが、なんのことはない、すでに中国でも盂蘭盆=お盆(物を載せる道具)という意味だったんですね。

 これが日本に伝わったのが聖徳太子の時代。ときの推古天皇は早くも606年7月15日の中元に「盂蘭盆会」を催していたとの記録があります。ここから次第に全国の寺院で盂蘭盆会をするようになったといいます。ただしこの時点ではあくまで「亡者一般」を供養する行事で、今のような「先祖供養」を主とするお盆とは若干ニュアンスが異なります。

 先祖供養という側面は、やはり仏教というより日本の民俗信仰由来ではないかと思います。私がこう思うのは、高野山で授業を受けた仏教民俗学者の日野西真定先生(故人)の影響が大きいといえます。日野西先生は、仏教行事といわれているものの多くが実は日本古来の民俗信仰によるものだという研究をおこなっていて、そういう視点から私たちにお盆や正月の意味を教えてくれました。これは私にとって実にしっくりくる考え方で、仏教の思想・哲学と現実に「仏教行事」「仏事」とされているものとの乖離を説明するうえでも必要な観点だと思いました。

 日野西先生の師であり、仏教民俗学の創始者でもある五来重によると、お盆は旧暦7月をまるまる使った長期間にわたる行事で、7月1日の「釜蓋朔日」(地獄の釜の蓋が開く)、7日の「七夕」、13日の「精霊迎え」(盆棚作り、迎え火)、14・15日の「お盆」(盆踊り、棚経、寺院施餓鬼)、16日の「精霊送り」(送り火)、24日の「地蔵盆」、そして8月1日の「八朔」(終い盆)と進んでいくものでした。新暦になってから、七夕は7月、お盆は8月というふうに分離してしまったのですが、元は一連の盆行事だったというのです。確かに「7日の夕方」に行う「七夕」を「たな・ばた」(棚・幡)と読ませるあたり、かなりお盆のにおいがしますよね。

 五来説では、七夕を含むお盆の習俗とは、「祖霊」=「作の神」(農耕の神)とする日本人の神観念に基づく農耕感謝と豊作祈願の祭りでした。ここに中国仏教由来の「盂蘭盆経」が重なり、お盆の行事が形作られていったというのです。

 もちろん、こんな難しい話を子どもたち向けに講義したわけではありません。盂蘭盆経には潔いほどに全く触れず、民俗信仰の視点から、満月のもとでおこなう盆踊りや、きゅうりやなすびの精霊馬を紹介し、「先祖」と「自然」に祈ることの現代的意味を少し話した程度です。それで持ち時間はいっぱいでした。それでも、先祖を考えることで世代を超えた時間のものさしを身に付け、自然を思うことで空間的尺度を広げることの大切さを、いくぶんか伝えられたような気がします。

 なお五来説に対する異論として、小野重朗という民俗学者の「七夕=水神祭から派生した習俗」という説があるそうです。水は私たちに不可欠な恵みであると同時に、洪水や疫病をもたらす厄神的性格も持っています。七夕は水にまつわる行事が多く、中国でも牽牛織女伝説の起源は水神祭にあるといいます。これはこれで興味深い視点です。

 今年の夏は新型コロナウイルスという疫病のせいで帰省が控えられ、盆踊りも中止になった地域が多かったでしょう。さらに記録的な豪雨によって各地で大きな被害が発生しました。一方で「東京オリンピック」というお祭りは盛大に行われ、多くの人が熱狂するとともに、コロナ感染が爆発的に広がって医療が危機を迎えました。

 こんな日本の惨状を見て、お盆に帰ってきた先祖たちはどう思ったでしょうか。「もう帰りたくない」と思っていなければよいのですが。

2021年8月21日 坂田光永





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