仏 教 と現 代
捨身の虎と明恵上人
2022年、壬寅(みずのえ・とら)の年になりました。寅年ということで、虎にまつわる仏教説話を思い出す人も多いでしょう。「捨身飼虎」という、いわゆるブッダの前世物語です。
…昔、マハーラトナ王には3人の王子がいた。長男をマハープラナーダ、次男をマハーデーヴァ、三男をマハーサットヴァといった。あるとき王子たちは林の中で遊び戯れていた。その林の中に、二頭の子を連れた母虎がいた。母虎は飢えのあまり我が子を食おうとしていた。これを見て2人の兄は逃げ去ろうとしたが、末のマハーサットヴァは「先に行っていてください」と言って兄たちを去らせてから、「人はみな我が身を愛して他に恵むことを知らない。すぐれた人は慈悲の心をもち、我が身を忘れて他を救う。私は何度生まれ変わっても身体は腐り爛(ただ)れるだけだ。この身は変わりゆくもので、常に求めても満たしにくく、また保ち難い。今私はこの身を捨て、飢えている虎の親子を救おう」と思い定め、我が身を虎の前に差し出した。
しかし虎の母子は弱りすぎていて食いつこうともしない。そこでマハーサットヴァは、木の上に登って身を投げた。木から落ちたマハーサットヴァの体からは血が流れだした。母虎はその血をなめて生気を取り戻し、子虎とともに彼の体を食べ尽くした。白骨化した我が子を見た父王は嘆き悲しんだ。そこに兜率天に生まれたマハーサットヴァが姿を現し、「私は我が身を捨てて飢えた虎を救った功徳で兜率天に生まれた。存在するものは必ず無くなり、生あるものにはきまって死がある。これがさだめなのだ」と語った…
で、そのマハーサットヴァの生まれ変わりがブッダであるというのが、『賢愚経』(げんぐきょう)における捨身飼虎の物語です。同様の前世譚は『ジャータカ伝』や『金光明経』「捨身品」などにも描かれていて、自己犠牲による「利他」の精神や、諸行無常の教えなどを表すとされています。
この説話は当然、日本にも伝わりました。あの有名な法隆寺の「玉虫厨子」(たまむしのずし)に描かれているのも、実はこの捨身飼虎の図です。
正直に申し上げると、私もこの話は好きではありません。利他の精神を説くあまり自己犠牲を奨励するというのはさすがに過剰で、利他行本来の在り方からはかけ離れています。ともすれば「特攻」を称賛するエピソードになりかねません。それに諸行無常とは自然な変化を指すのであって、個体の自然な老化や腐敗、生態系本来の食物連鎖を見ればよいものです。もしかしたらもっと深い読み方ができるのかもしれませんが、どうやったって誤解を生みやすい物語だといわざるを得ません。
とはいえこの説話は刺激の強いがゆえに、日本社会で一般受けしなかった反面、少なくない高僧たちを魅了してきました。その高僧の一人が、中世に活躍した明恵(みょうえ)上人です。平安時代末期に生まれた明恵上人は、十代の頃この教えに触れ、何度も捨身の行を試したといいます。例えば遺体置き場で野良犬が死体を食い散らかすのを見て、自分も犬に食われようと身体を横たえたこともありました。そのときの様子が伝記に描かれています。
「夜深けて犬ども多く来りて、傍なる死人なんどを食う音してからめけども、我をば能々嗅ぎて見て、食ひもせずして、犬ども帰りぬ。恐ろしさは限り無し」
どうやら本人の願いとは裏腹に捨身の行は失敗したようです。「恐ろしさ限り無し」という描写に何だかホッとしますね。高僧とはいえ犬に体が食べられるかと思うと怖いようです。
明恵上人はその後、真言密教や禅の教えに触れながら、華厳宗の僧として京都・高山寺を拠点に活躍しました。その彼が晩年に制作した『華厳宗祖師絵伝』に興味深い描写があります。華厳宗の祖師の一人である韓国僧・元暁が、虎に見守られながら瞑想する姿を描いた図です。虎は元暁を襲うわけではなく、かといってなつくわけでもなく、緊張感を保ちながらたたずんでいます。
実はこの元暁の姿は、明恵上人をモデルに描かれているといわれています。とすれば、これは明恵上人自身の意志が反映されているのではないでしょうか。すなわち、若き日に捨身飼虎を願ってやまなかった少年のたどり着いた境地は、自己犠牲による強引な利他行ではなく、自然の摂理を踏み越えた弱肉強食でもなく、互いに距離感を保って棲み分ける共存関係だったのではないかと私は思うのです。
ちなみに明恵上人は、高山寺を後鳥羽上皇から下賜されています。後鳥羽上皇といえばあの「承久の乱」の人です。この乱の際、北条義時と鎌倉武士団は京都まで攻め上り、都は大混乱となりました。公家衆は散り散りになり、取り残された女性たちや敗残兵が大勢、高山寺に逃げ込みました。明恵上人は鎌倉方に捉えられて六波羅蜜寺に引きずり出されたものの、義時の子・泰時に敬われて免罪となりました。後に六波羅探題に赴任した泰時は高山寺に足しげく通い、明恵上人の学識や思想に感化されたといいます。泰時が制定した「御成敗式目」には明恵上人の影響が随所にみられるそうです。
今年のNHK大河ドラマ『鎌倉殿の13人』に果たしてそのエピソードが登場するかどうか。今から楽しみにしておきます。
2022年1月21日 坂田光永
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