仏 教 と現 代

鎌倉頃の13人

 「お、頼朝が観音経読みょうる!」「伊豆山権現に社僧がおるで!」 …大河ドラマ『鎌倉殿の13人』を見ながら大興奮の私。源頼朝や北条義時の活躍もさておきながら、ついつい目が行くのは当時の仏教がどのように描かれているか。歴史好きの三谷幸喜さんと時代考証チームの仕事ぶりに毎度、目を見張っています。

 現在放送中のドラマの舞台は平安末期、源平合戦の頃。いわゆる「鎌倉仏教」はまだ登場しておらず、貴族や庶民に浄土信仰が広がりつつも比叡山を中心とした平安仏教が圧倒的です。また神仏習合の時代でもあるので、神社の描き方などは現代人のイメージとかけ離れています。

 当時の宗教事情なんて分からなくてもドラマは一応楽しめますが、分かるともっと面白いはず。ということで、『鎌倉殿の13人』の時代の仏教について、ポイントを解説してみたいと思います。

 まず、当時の社会情勢全体から見ていきましょう。平安末期、天皇を中心とした律令政治は完全に形骸化し、上皇・法皇の「院」、藤原氏などの「公家」勢力、そして「寺社」勢力が天皇を取り囲むように権勢をふるっていました。この院・公家・寺社といった権力グループを「権門」と呼びます。彼らは「荘園」を経済的基盤としており、その警備にあたったのが後に台頭する「武家」でした。その筆頭格が平氏・源氏の2家であり、ゆくゆくは彼らが公家・寺社を脅かしつつ権門体制に仲間入りをしていく、というのが、歴史学でいうところの「権門体制論」です。

 この権門の一角を占める寺社勢力は、「寺社」といっても実質的に「寺」でした。神道(神社)は仏教(寺院)と融合・一体化して、「神仏習合」という日本独自の宗教文化を形作っていました。神社には神主・宮司ではなくお坊さんが常駐し、祝詞ではなくお経が読まれていました。神社をまもる僧侶のことを「社僧」あるいは「供僧」(ぐそう)と呼びます。なんでそんなことになったの? というところが気になる人は、ぜひこちら(明治150年というけれど)をお読みください。とにかく、仏教が日本に伝わってから明治維新までの約1300年間、日本人は天皇家から庶民に至るまで神道と仏教をごちゃまぜにした状態で信仰を営んでいたのです。

 『鎌倉殿の13人』では神仏習合が明確に描かれています。例えば北条政子らが「伊豆山権現」(現在の伊豆山神社)にかくまわれるシーン。社僧(供僧)が小坊主を連れて登場し、「女人禁制の習いに従い、寺女になっていただきます」と言っています。宮司でなく僧侶、巫女でなく寺女ということで、よく知らない人なら混乱するところでしょう。当時の伊豆山権現は山岳修験の霊場で、天台宗や真言宗の影響下で発展した「顕密神道」の一大拠点となっていました。伊豆山権現を尊崇した後奈良天皇はここに「般若心経」を奉納しています。当時の伊豆山権現は、いわば「仏教の神社」だったのです。

 そもそも「権現」自体が、神道なのか仏教なのか位置づけも分からないような、典型的な神仏習合の神様です。ゆえに、明治維新の「神仏分離令」によって名称は「伊豆山神社」に改名され、主祭神も変えさせられました。神社を管理していた別当寺である高野山真言宗の「般若院」との関係も切り離され、その後の混乱で史料も散逸してしまったそうです。

 伊豆山権現のような神仏習合の神社は当時珍しくなく、というか、ほとんどがそうであったと考えられます。幕府の首都・鎌倉の中心に位置する「鶴岡八幡宮」も、当時は「鶴岡八幡宮寺」と呼ばれた神仏習合の「密教寺院」でした。「仁王門」を入ると「仏堂」「大塔」「護摩堂」などがあり、そこには薬師如来・愛染明王などの「仏像」が祀られていたといいます。それらは新義真言宗の社僧たちによって日々護持されました。源頼朝も戦勝祈願のため社僧に「法華経」「仁王経」「最勝王経」などの勤行を命じたそうです。

 しかし明治維新後の1870年、神仏分離の大号令の下、鶴岡八幡宮寺でも仏像が排除され、仏堂・仏具が徹底的に破壊されました。なんと社僧たちは自ら神官に鞍替えし、率先して仏像を放棄し、「僧尼不浄の者入るべからず」という立て看板を出したといいます。仏堂はバラバラにされて中古木材として売り払われ、徳川家光が寄贈したという梵鐘は鉄槌で叩き壊され、弘法大師の直筆と伝わる紺紙金泥の大般若経六百巻も行方不明になりました。

 権力に恐れをなした真言僧たちは、信仰もプライドも捨てて自ら仏を破却する暴挙に出たわけです。「こういう形でしか守れなかった」という擁護論もあるかもしれません。でも皮肉なことに鶴岡八幡宮は明治4年の上知令で社領を明治政府に没収され、食い扶持を失った「元僧侶」たちは路頭に迷って再就職口を探すはめになったといいます。その後、散逸した宝物を収集したのは筥崎という宮司さんだったそうです。

 すいません、神仏分離の話になるとつい筆が熱くなってしまうもので。クールダウンもかねて、最後に鎌倉時代初期に活躍した名僧をご紹介します。

鎌倉新仏教系 奈良・平安仏教系
  • 法然 … 浄土宗の開祖。比叡山の座主候補とも目されたが下山し、庶民も行える易行として「南無阿弥陀仏」の念仏行を広める。
  • 親鸞 … 浄土真宗の開祖。法然の弟子。自らを「愚禿」(ぐとく)と称し、肉食妻帯を実践。絶対他力、悪人正機を説く。
  • 一遍 … 時宗の開祖。「踊り念仏」で知られ、全国を遊行した中世のスター的存在。「一遍聖絵」は当時の生活を知る貴重な史料。
  • 栄西 … 臨済宗の開祖。中国(宋)から禅を伝え、幕府公認の仏教として武家の信仰を集める。日本で茶を始めた人でもある。
  • 道元 … 曹洞宗の開祖。不立文字を説き、ひたすら座禅行に打ち込む。「正法眼蔵」は仏教哲学の名著として知られる。
  • 日蓮 … 日蓮宗などの開祖。法華経こそ最高の経典であり、他は邪教と訴える。「立正安国論」で蒙古襲来を予言したとされる。
  • 文覚もんがく) … 真言宗系の怪僧。平家打倒を呼びかけるが、権力との摩擦も起こす。のちに「立川流」の開祖といわれる。
  • 明恵みょうえ) … 華厳宗の中興の祖。「光明真言」を広める。後鳥羽上皇と親交が深く、北条泰時も帰依した。
  • 慈円 … 比叡山の座主。九条兼実の弟。同時代を詳細に描写した『愚管抄』は日本初の歴史哲学書ともいわれる。
  • 重源ちょうげん) … 高野山の僧。源平合戦で焼失した東大寺の復興に尽力。また小野浄土寺などを建立し、庶民への布教もおこなった。
  • 叡尊えいそん) … 律宗、奈良西大寺の僧侶。律の復興とともに、ハンセン病者の療養施設を造るなど社会事業にも邁進。
  • 忍性にんしょう) … 叡尊の弟子。真言律宗を確立。叡尊の社会事業を引き継ぎ、奈良や鎌倉で困窮者支援活動を行う。
  • 西行 … 元北面の武士。出家して高野山などで修業。「花の下にて春死なん」はあまりにも有名。

 なんと、ちょうど13人になりました。「鎌倉頃の13人」ですね。鎌倉時代の仏教というと、つい「鎌倉新仏教」の開祖に目が行きがちですが、実は「旧仏教」系も頑張っているのをお知りいただければ幸いです。

2022年2月21日 坂田光永





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