仏 教 と現 代

みろく世もやがて、命どぅ宝

 今年5月15日、沖縄の施政権が日本に返還されてちょうど50年を迎えました。50年前まで、沖縄から日本本土に渡るにはパスポートとビザ(入域許可書)が必要で、日本本土から沖縄に渡るには政府が発行する身分証明書がなければなりませんでした。通常の海外旅行とも違う特殊な渡航手続きがあり、しかもアメリカの沖縄統治を批判する人には発給を遅らせたり発給しなかったりと、かなり恣意的な運用がなされていたようです。

 第二次世界大戦下の日本で唯一の地上戦が行われた沖縄では、「鉄の暴風」と呼ばれる米軍の大量爆撃や日本軍による集団自決の強制、飢えやマラリアなどで、実に県民の4人に1人が亡くなりました。戦後もアメリカに統治され、先祖伝来の土地を米軍に奪われた沖縄の人々は、「命(ぬち)どぅ宝」というスローガンを掲げて平和運動や本土復帰運動を闘います。

 ところで、この「命どぅ宝」という言葉の由来を調べてみると、どうも一筋縄ではいかないことが分かりました。

 最初に目にしたのは、明治政府が琉球処分を強行した際、最後の琉球国王である尚泰王が、首里城明け渡しの場面で詠んだ琉歌の一節であるという説でした。ただしその歌の表記は一定せず、いくつものパターンが出てきます。その一つがこちら。

 いくさ世()もしまち みろく世もやがて 嘆(なじ)くなよ臣下 命どぅ宝

 ――争いの世は終わり、弥勒の世がやがて来る。 嘆くなよ、おまえたち。命こそ宝なのだから。

 「みろく世」とは「平和な時代(世界)」という意味でしょう。弥勒菩薩は沖縄では「ミルク神」と呼ばれています。といっても日本の弥勒菩薩とはほとんど別人で、ふっくらした布袋さんの姿をしています。これは沖縄の弥勒が、日本経由ではなく、中国南部やベトナムを経由して伝わったためです。実在する中国の布袋という和尚が、12世紀頃に弥勒菩薩の化身と信じられるようになり、その信仰が沖縄に伝播して、沖縄土着のニライカナイ信仰と習合したということのようです。

 なるほど、あの尚泰王の琉歌でしたか。…そう思ったところ、次に目にしたのが「それは史実ではなく戯曲の一節」という情報でした。

 Wikipediaには、「沖縄県出身の画家で作家の山里永吉が1932年に書いた戯曲『那覇四町昔気質』が原典とされ、同戯曲の幕切れに琉球処分で東京移住を命じられた尚泰王が…」とあり、続いて「この琉歌の作者は同戯曲を書いた山里永吉とも、同戯曲の舞台で尚泰王を演じていた俳優の伊良波尹吉とも言われている」と記述されています。また、沖縄芝居はもともと「口立て」によるものが多く、古いもので脚本があるものは少ないそうです。上記の琉歌の書きぶりがいろいろあるのはそのせいもあるのでしょう。

 と思ったら、さらに検索してみると、戯曲の作者である山里自身が演出した戦前の舞台にこの場面はなく、「アンマーたちの好み」つまり「観客の好み」で付け加えられたとの説が紹介されているではありませんか。もはや特定の作者による創作ですらないということ。なんと興味深いことでしょう。

 少なくとも、尚泰王の作というのは史実ではなさそうです。ただ創作とはいえ、当時の人々がこめた祈りがそこにあったのは間違いないでしょう。「アンマーたちの好み」であればなおさらです。さらに沖縄戦やその後の米軍占領を通じて「命こそ宝」という祈りは折り重なっていったように思います。

 1972年5月15日、沖縄が日本に「返還」されました。 しかしその後の50年を見てみると、 「沖縄返還」なんて表記するのもためらわれるような理不尽や非合理が繰り返されてきました。そして、そのたびに「命どぅ宝」という言葉が掲げられ、 受け継がれてきたのでした。 この言葉が息吹を失わなかったのはある意味、それだけ命がないがしろにされ続けてきたということでもあります。

 「命を大切にしましょう」という話をするとき、私を含めて、つい気安く「命どぅ宝」と口にすることがあります。でも、沖縄の人々の魂が積み重なったこの言葉に、ヤマトの私たちが「ただ乗り」することは許されないかもしれません。この言葉を発するなら、その言葉をつないできた人々の思いを引き受ける覚悟も問われるような気がします。今まさに「いくさ世」の真っただ中。ただ嘆くのではなく、「みろく世」を引き寄せる責任が私たちにはあるのでしょう。

2022年5月21日 坂田光永





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