仏 教 と現 代

政教分離と島地黙雷

 統一教会(現在の名称は世界平和統一家庭連合)と政治家との蜜月関係が連日さかんに報道されています。霊感商法やマインドコントロールを繰り返してきたカルト教団が、多くの政治家たちをあの手この手で支援してきた実態が次々に明らかになってきました。支援を受けた政治家は教団に便宜を図ったり、名前を貸したり祝電を出したりして教団の権威付けをしてきたのでしょう。その間、信者の家族は苦しみ続け、脱会を望む信者は泣き寝入りをし、また新たな被害者が出続けていたわけです。なんという罪業の深さでしょうか。

 「思想信条が一致したから応援したに過ぎない」という人もいました。なるほど、「エバ国家(日本)はアダム国家(韓国)に奉仕する義務がある」「天皇はサタン」…そんな教義を持つ教団と、元首相をはじめとする自称保守政治家との「思想信条が一致した」のであれば、それはそれで実に興味深い話です。そしてその元首相の死を悼んだ教団は、「国葬」にも似た大々的な追悼イベントを開催したそうです。

 この問題を機に、政治と宗教との関係が大いに議論されることでしょう。犯罪的カルト教団と一般的な宗教団体とを並べてはいけないでしょうけれど、それでも政教分離の議論は避けられないと思います。そのためには日本の宗教的特性への理解が欠かせません。

 近代日本の政教分離の歴史は明治維新に端を発します。江戸末期まで日本では神道と仏教が互いに混じり合った「神仏習合」の文化が実に1300年もの間、続いてきました。ところが尊王攘夷の熱狂に駆られた明治新政府の要人たちは、「神聖なる神社」から「外来の仏教」を排除しなければならないとの妄想に取り憑かれ、新政府の初仕事として「神仏判然令」(神仏分離令)を発布しました。

 これが「つまり寺を打ち壊せってことですね」と解釈され、全国で寺院や仏像を破壊する「廃仏毀釈(きしゃく)」の嵐が吹き荒れました。薩摩藩では1000以上あった寺院が維新後にゼロになったといいます。その薩摩を中心とした新政府は天皇を頂点とする「祭政一致」の政治を目指しました。維新の志士たちはある意味で「日本のタリバン」だったと言っても過言ではないでしょう。

 エキセントリックともいえるこの新政府の方針を軌道修正した立役者のひとりが、島地黙雷という浄土真宗の僧侶です。長州出身の彼は、幕末には僧侶たちに軍事教練を施して「金剛隊」を結成し、幕府軍と戦いました。浄土真宗の本山である東西本願寺そのものが新政府軍を財政的に支援したという背景もありました。そんな経歴や人脈を使って木戸孝允や伊藤博文らを動かし、日本独特の「政教分離」を実現します。その中身とは、各仏教教団を束ねて政府への協力体制をつくる代わりに、政府による仏教弾圧をやめさせる。一方、政府が重視する国家神道を「非宗教」と見なすことで容認し、建前上は政教分離したことにする、というものでした。

 島地黙雷のこの着地点は、非常に中途半端で矛盾をはらんではいるものの、当時としてはギリギリのラインだったのだと思います。けれどもその体制は修正されるどころか日清・日露戦争を経てより強固なものとなり、アジア太平洋戦争では仏教教団がこぞって戦争に協力することになりました。仏教界が戦争に協力したのは廃仏毀釈のトラウマによるところが大きかったといえます。そして今度はこの戦争協力がトラウマとなって、戦後の仏教界は社会との関わりを持ちたがらなくなりました。

 かたや国家神道は戦後に解体されたものの、「神社本庁」という役所みたいな名前の宗教法人が全国の神社を統括し、改憲署名を集めたり日本会議に参加したりLGBTを差別するチラシを配ったりして、国家神道の復活を夢想しているように見えます。とはいえ国家神道の歴史などたかだか150年に過ぎません。それ以前はずっと神仏習合が続いてきたのだし、そのほうが日本の風土に合っていると私は思います。

 8月2日、オンライン講座「内田樹×釈徹宗 今こそ、政教分離を考える」(ミシマ社主催)を拝聴しました。質問コーナーで私は「明治の国家神道体制が未だ続いている中での政教分離は難しいのではないか?」「この問題について宗教者からの発信が少ないのではないか?当事者意識が薄いのか?」という質問をさせていただきました。これに対し内田先生が「島薗進さんの『教養としての神道』は大変よい本でした。しかしなぜ神道の人の中からこういう本を出す人が出てこないのでしょうかね? 神道の方でこの文脈で発言をしている著名な人はいるのかな?」と述べられ、釈先生も「いや、いませんねぇ」と応じておられました。

 ちなみに後日、講座の感想をツイッターで書いたところ、なんと内田先生自らコメントをくださいました。短い言葉で的確に要点を突いておられて、いつもながら感服します。

 などと浮かれている場合ではありませんね。これから深まっていくことが望まれる政教分離の議論では、宗教者こそ当事者としての考察と発信が求められると思います。

2022年8月21日 坂田光永





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○ 2022年5月21日「みろく世もやがて、命どぅ宝」
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○ 2022年3月21日「帝国ロシアを突き動かすルーシ神話」
○ 2022年2月21日「鎌倉頃の13人」
○ 2022年1月21日「捨身の虎と明恵上人」
○ 2021年12月21日「ラスト・サムライ」
○ 2021年11月21日「LGBTQ+的に仏教はあり?」
○ 2021年10月21日「『日本習合論』」
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○ 2021年6月21日「五輪」
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○ 2021年3月21日「このごろはやりの陰謀論」
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○ 2021年1月21日「最上の牛」
○ 2020年12月21日「3密vs三密」
○ 2020年11月21日「宗教が動かすアメリカ大統領選挙」
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○ 2020年4月21日「グレーゾーン遺体」
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○ 2020年2月21日「仏教者こそ科学を学べ」
○ 2020年1月21日「南方熊楠と真言密教」
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○ 2019年8月21日「御代替わり儀礼の正体」
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○ 2015年4月21日「1200年という『ものさし』」
○ 2015年3月21日「天上天下唯我独尊」
○ 2015年2月21日「私はシャーリプトラ」
○ 2014年12月21日「下山する勇気」
○ 2014年10月21日「御嶽山と川内原発」
○ 2014年8月21日「天皇と日本人(下)」
○ 2014年7月21日「天皇と日本人(上)」
○ 2014年6月21日「地獄へようこそ」
○ 2014年5月21日「死は自然なもの」
○ 2014年3月21日「土曜授業は仏教の衰退を招く」
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○ 2010年6月21日「ボクも坊さん。」
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○ 2010年4月23日「葬式は要らないか」
○ 2010年3月21日「再びオウム事件と仏教について」
○ 2010年2月21日「立松和平さんの祈り」
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○ 2009年12月21日「『JIN』のようにはいかないもので」
○ 2009年11月21日「排他的?独善的!」
○ 2009年10月21日「アフガンに緑の大地を」
○ 2009年9月23日「笑いとため息」
○ 2009年7月21日「臓器移植と『いのち』の定義 続編」
○ 2009年6月21日「臓器移植と『いのち』の定義」
○ 2009年5月21日「『地救』のために何ができるか」
○ 2009年4月21日「アイアム・ブッディズム・プリースト」
○ 2009年3月21日「おくりびとと『死のケガレ』」
○ 2009年1月21日「『伝道師』としてのオバマ」
○ 2009年1月1日「空と海をつなぐ」
○ 2008年10月28日「会津をめぐる」
○ 2008年9月21日「神秘主義」
○ 2008年7月21日「グリーフレス中学生」
○ 2008年5月21日「祈りと行動と」
○ 2008年4月21日「聖火の“燃料”」
○ 2008年2月28日「妖精に出会う」
○ 2008年1月21日「千の風になるとして」
○ 2007年10月21日「阿字の子が阿字の古里…」
○ 2007年8月21日「目覚めよ密教!」
○ 2007年6月21日「昔のお寺がそのままに」
○ 2007年4月21日「空海の夢」
○ 2007年3月21日「無量光明」
○ 2007年2月21日「よみがえる神話」
○ 2007年1月1日「伊太利亜国睡夢譚」
○ 2006年11月21日「仏教的にありえない?」
○ 2006年10月23日「天使と悪魔 ~宗教と科学をめぐる旅~」
○ 2006年9月21日「9/11から5年」
○ 2006年8月23日「松長有慶・新座主の紹介」
○ 2006年7月21日「靖国神社と仏教の死生観」
○ 2006年6月21日「捨身ヶ嶽で真魚を見た」
○ 2006年5月21日「キリスト教と仏教と「ダ・ヴィンチ・コード」」
○ 2006年4月21日「最澄と空海」
○ 2005年9月23日「お彼岸といえば…」
○ 2005年7月21日「お盆といえば…」
○ 2005年4月21日「ねがはくは花の下にて春死なん…」
○ 2005年3月21日「ライブドアとフジテレビと仏教思想」
○ 2005年1月21日「…車をひく(牛)の足跡に車輪がついて行くように」
○ 2004年8月21日「…私は、知らないから、そのとおりにまた、知らないと思っている」
○ 2004年7月21日「鈴と、小鳥と、それから私、みんなちがって、みんないい。」
○ 2004年6月23日「文殊の利剣は諸戯(しょけ)を絶つ」
○ 2004年5月21日「世界に一つだけの花一人一人違う種を持つ…」(SMAP『世界に一つだけの花』)
○ 2004年4月21日「抱いたはずが突き飛ばして…」(ミスターチルドレン『掌』)
○ 2004年3月23日「縁起を見る者は、法を見る。法を見る者は、縁起を見る」
○ 2004年2月21日「…犀(さい)の角のようにただ独り歩め」
○ 2004年1月21日「現代の世に「釈風」を吹かせたい ―心の相談員養成講習会を受講して―」
○ 2003年12月21日「あたかも、母が己が独り子を命を賭けて護るように…」
○ 2003年11月21日「…蒼生の福を増せ」
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○ 2003年9月21日「観自在菩薩 深い般若波羅蜜多を行ずるの時 … 」
○ 2003年8月21日「それ仏法 遙かにあらず … 」



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