仏 教 と現 代

2つの国葬

 この9月は、図らずも2つの対照的な「国葬」が続くことになりました。19日にイギリスで行われ、27日には日本で予定されています。

 イギリスの国葬は、9月8日に96歳で亡くなったエリザベス女王を弔うための葬儀です。ご遺体はエディンバラからロンドンに運ばれ、14日には式場となるウェストミンスター寺院に入りました(キリスト教でも「寺院」と呼ぶのはなぜでしょう?)。この間、大勢の人々が弔問に駆けつけました。普段は王室の醜聞に大騒ぎしながらも、いざその主(あるじ)の訃報を受ければ国全体が悲しみに包まれるのだなぁと、学生時代たった2週間スコットランドに滞在しただけの私にも感慨深いものがありました。

 かたや日本の安倍晋三元首相の国葬は、世論の賛否は拮抗するどころか反対が上回り、弔問外交をしようにも肝心の「要人」がそれほど訪れず、結果的に安倍晋三という政治家の名誉を毀損する展開になってしまっています。

 そもそも安倍さんの場合、国葬にする根拠がどれほどあるのかよく分かりません。安倍さんが亡くなって数日ほどたった頃、一部で「国葬を」という声が上がっているのを見聞きし、当時の私は「さすがにそれはないだろう」と呆れたものでした。だって戦後に国葬に付されたのは皇室関係者以外では吉田茂だけで、最近亡くなった中曽根康弘でさえ「内閣・自民党合同葬」だったわけです。安倍さんが吉田茂に匹敵する功績があるとはとても思えませんでしたし、ましてや天皇家と同格というのは保守界隈の人こそむしろ受け入れられないでしょう。国葬とはそれほどにエキセントリックな決断であり、政権の自爆行為にしかならないので、まさか本当にやるとは思っていませんでした。

 ところが岸田首相は、そのまさかを決断。私は度肝を抜かれました。なんと、安倍さんを皇族扱いするのか、と驚いたのです。テレビで「大喪の礼」を持ち出す「有識者」も現れ、さらに驚きました(しかもその有識者は「たいものれい」と言っていて、さらに、さらに驚きました)。

 当然ながら安倍さんの国葬には賛否両論が噴出。なかには「?」と思う意見まで飛び出しました。

 例えば、賛成論の「葬儀をして何が悪い?」という意見。ご存じの通り、安倍さんの葬儀はすでに7月12日、東京の増上寺で行われています。もう済んでいるのです。ちなみに山口県出身の安倍さんの実家は浄土真宗の門徒ですが、増上寺は浄土宗です。どうやら増上寺は「広いから」という理由で選定されたようで、祖父の岸信介氏や父の安倍晋太郎氏も増上寺で行われたそうです。安倍晋三さんご本人の戒名は「紫雲院殿政譽清浄晋寿大居士」とのこと。これも浄土宗の戒名ですね。家や先祖を大事にするはずの安倍さんが、先祖代々の宗派で葬儀を行わなかったというのは非常に不可解です。

 一方、反対論にも「世論の反対が多いからダメ」という人がいます。では賛成が多かったらいいのか? 世論調査で反対が多いのは、テレビで統一教会のことを取り上げていることも影響していると思います。もし安倍さんと統一教会の関係がここまで明らかになっていなければ、これほど反対が多くなることはなかったでしょう。世論を根拠にするのは安易だと思います。ただこうなってくると、国葬を強行しようとすればするほど統一教会の影がちらつくというのが皮肉なところでもありますが。

 反対派の「弔意が強制されるのでは?」との懸念に対し、賛成派が「そんなことはない」と反論するのも、おかしな話です。もちろん強制とはいわないまでも、国全体で弔意を示すのが「国葬」です。それをしなければ国葬を行う意味はありません。エリザベス女王の国葬では、当日は国民の休日となり、全土で2分間の黙祷が捧げられました。これが国葬というものです。逆を言えば、それぐらいやらないのなら最初から「合同葬」にしておけばよかったのです。岸田さん自身、本音では安倍さんが国葬にふさわしいとは思ってないんじゃないですかね。そのことが表れています。

 歴史をひもとけば、為政者というのは常に「人の死」を利用して自分の権力を固めてきました。羽柴秀吉は、本能寺の変で見つからなかった織田信長の遺体を木像で代用し、実質的に葬儀を主催。絢爛豪華なイベントを通じて、自分が後継者であることを内外にアピールしました。明治には暗殺された大久保利通の葬儀を政府が執り行い、まだ不安定だった明治政府の正統性を誇示。続いて岩倉具視が事実上の国葬第1号となり、三条実美の葬儀で初めて「国葬」の呼称が用いられました。以後、伊藤博文の国葬(=写真)などが行われたものの、あまり頻繁にやると価値が薄れるということで、戦前までの国葬は15件にとどまりました。

 かたや日清・日露戦争で生じた多くの戦死者は、市町村が葬儀を執り行う「公葬」に付されました。この公葬では死者の戦功が強調されたため、「葬儀=死者顕彰の場」というイメージが定着し、葬儀の宗教性が薄れていったといわれています。そしてその宗教性を補完したのが、靖国神社や各地の護国神社であったわけです。

 この世俗的な葬儀の形態である「公葬」の姿を受け継いだのが、戦後、特に高度経済成長期に急増した「社葬」です。社葬は日本独特の風習で、遺族の「喪主」とは別に「葬儀委員長」を置き、社葬の間だけ喪主から葬儀委員長に遺骨が受け渡されるという儀礼が定式化したそうです。営利目的でつくられた会社組織が遺族に代わって死者を弔うなんて、考えてみれば実に不思議な習慣ですが、ある意味で失われつつあった村落共同体の役割を会社が引き受けたという側面もあるかもしれません。そしてその会社の存在感も薄れた末に、葬儀の引き受け手が遺族以外にいなくなった、よって「家族葬」が増えた、というのが葬儀の現在地でしょうか。

 こう見てくると、一般論としての「国葬」を一律に否定するのは難しいのかなと思います。人の死は個人の内心の事柄であると同時に共同体的・社会的な事柄でもあるという点で、家族葬と社葬、公葬、そして国葬とは地続きであるといえます。

 反面、日本の場合、公葬や国葬は政教分離との兼ね合いから「無宗教の葬儀」にならざるを得ません。日々檀信徒の葬儀と向き合う私からすれば、無宗教の葬儀というものにはどうしても違和感を覚えてしまいます。今までいた人間がこれからはいなくなる、でも何らかの形で死者との関係を再構築しなければいけない。それが葬儀の根源的な意味だとするなら、葬儀に何らかの宗教性が伴うのは必然であり、どうしても無宗教でやりたいのであれば「告別式」「お別れ会」をすればいいと私は思います。

 それにしても「国葬」というテーマは意外に奥が深いですね。2つの国葬を通じて、葬儀とは何か、死者を弔うとは何か、改めて考える機会になるかもしれません。

2022年9月21日 坂田光永





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