仏 教 と現 代

その者、曼荼羅の野に降り立つべし

 新型コロナウイルスの感染者は依然多いものの、話題は徐々に後景に下がりつつあります。このまま終息するのか、それとも新たな変異株が登場するのかは分かりませんが、コロナ禍は「何となく収まったね」で忘れてしまうにはあまりにも大きな課題を私たちの社会にもたらしたように思います。

 ここで多くの示唆を与えてくれるのが、宮崎駿監督の『風の谷のナウシカ』です。アニメ版は1984年公開で、それに先立つ1982年連載開始の漫画版を一部、下地にしています。アニメ版公開後も漫画版の連載は続き、なんと10年後の1994年に連載終了となっています。

 コロナ禍を経験した2022年の時点でアニメ版の台詞を振り返ると、どれもいちいち鮮烈です。城オジが「姫様マスクを! 死んじまう! マスクをしなされ!」と叫んだり、ナウシカが「…少し肺に入った」と咳き込んだり。またナウシカが「みんな! 必ず助ける! 私を信じて、荷を捨てなさい」という姿に、城オジたちが思わず「姫様、笑うておられる。助かるんじゃ」と勇気づけられる姿は、現代のリーダーにもこうあってほしいと、つい無い物ねだりをしてしまいます(「荷を捨てなさい」という台詞も現代人にとっては意味深です)。

 さらにそのナウシカが「腐海の木々は、人間が汚したこの世界を綺麗にするために生まれてきたの。大地の毒を体に取り込んで、綺麗な結晶にしてから、死んで砂になっていくんだわ」と分析するのは、ウイルスと環境破壊の関係を予言しているようで驚きます。その事実を受け入れられないクシャナが「腐海の毒に冒されながら、それでも腐海と共に生きるというのか?」と怒りをぶつけるのは、私たち自身の姿かもしれません。城オジが「あんたは火を使う。そりゃあわしらもちょびっとは使うがの。多すぎる火は何も生みやせん。火は森を一日で灰にする。水と風は百年かけて森を育てるんじゃ。わしらは水と風のほうがええ」と言う相手は、クシャナではなく私たちなのかもしれません。

 さて、このアニメ版と漫画版、私はどちらも好きなのですが、この2つは大きな違いがあります。詳しくは読んでもらうしかないという前提でごく大雑把に表現すると、漫画版は「中国の三国時代の歴史そのもの」、アニメ版はその一部を切り取った映画『レッド・クリフ』のような感じ、とでもいいましょうか。要するに漫画版は、アニメ版には収まりきらない現実的で壮大な設定と物語、そして終盤に向かってはアニメ版のファンを裏切るような展開すらも容赦なく描かれています。

 加えて漫画版の大きな特徴は、宗教的な表現が随所に見られることです。神聖皇帝が僧会の宗教的権威を利用して支配する大帝国「土鬼」(ドルク)。文明を離れて森の奥で自然と共生する「森の人」。あの「巨神兵」は急激に知性を発達させ、自らを「裁定者」と称し、世界に審判を下そうとする。その巨神兵とナウシカが目指すのは、「生命を操る技術」を独占する人工知能的建造物で、その名も「シュワの墓所」と呼ばれています。途中に登場する生物兵器「粘菌」なんて、南方熊楠を連想せざるを得ません。宮崎さん自身はこの作品が宗教と結びつけられることに非常な嫌悪感を示したといいますから、そこは理解しつつも、私などはやはりその奥底に宗教性を感じてしまうものです。

 実際、作中で大きな意味を持つナウシカの青い服(蒼き衣)は、ヒンドゥー教の破壊神シヴァの色であるとともに、イエスの聖母マリアを象徴する色でもあります。漫画版でトルメキア王が「お前は破壊と慈悲の混沌だ」と語るのは、そのことを意識しているとしか考えられません。

 そんな様々な宗教的要素がスパイスのようにちりばめられたナウシカにおいて、最も色濃く読み取れる宗教は、何を隠そう「真言密教」です。

 ここで簡単に「密教」をおさらいしておきましょう。密教とは仏教の流派の一つで、空海が日本に伝えました。生命循環の総体としての大日如来を中心とし、他の仏菩薩はすべて大日如来の変化した姿であると説きます。その図示が曼荼羅(マンダラ)です。他の仏教教派に比べて身体性を重視し、真言の読誦や護摩行による加持祈祷を行います。

 そんな密教とナウシカにいったいどんな共通点があるのか。まずナウシカと空海との共通点を見ておきましょう。ナウシカと空海はいずれも旅する人、越境する人です。それは場所という意味だけでなく、人間と動物や植物の境界すら越えていきます。また非常に科学的でありながら、ときに不思議な力も使って他者と渡り合います。ちょっとこじつけっぽいですか? いやいや、作品に深入りしていくとこんなもんじゃありませんよ。

 例えば森の人は「食べるも、食べられるも、この世界では同じこと。森全体がひとつの生命だから… 人間が世界の調和を崩すと、森は大きな犠牲を払って、それをとりもどします」、あるいは「森はひとつの聖なる生命体と私達は感じて来ました」と語り、ナウシカは「わたし、いまもそう感じています。個にして全。全にして個。ある偉大な王蟲が教えてくれました」と返します。これは私にいわせれば「マンダラ的世界観」そのもの。全ての仏も自分自身も大日如来と一体であると認識する、つまり自分の身体は絶えず循環を繰り返し他のあらゆる生命とつながっていると感じる、真言密教の世界観です。

 また森の人が、「腐海は、人の手が造り出したもの、というのですか!?」とナウシカに尋ねるシーン。ナウシカはそれに答えて、「エエ… そう考えると、すべてが判って来ます。たった数千年で、腐海は不毛の大地を回復させようとしています。その役目がすんだら、亡びるようにも定められている… 目的のある生態系… その存在そのものが、生命の本来にそぐいません。私達の生命は、風や音のようなもの… 生まれ、ひびきあい、消えていく」と言います。これは空海の言葉「禽獣(きんじゅう)卉木(きもく)は皆是れ法音(ほうおん)なり」(「中寿感興の詩」)と通じる思想です。

 さらにラストシーン、ナウシカと対峙する墓所の主が「お前は危険な闇だ。生命は光だ!!」と言い放つのに対し、ナウシカは「ちがう。いのちは闇の中の、またたく光だ!! すべては闇から生まれ、闇に帰る」と反駁します。なんとこれなんて、空海の言葉「生マレ生マレ生マレ生マレテ 生ノ始メニ暗ク 死ニ死ニ死ニ死ニテ 死ノ終リニ冥シ」(『秘蔵宝鑰』)そのものじゃありませんか。ナウシカの思想の根底には、「世界を清浄と汚濁に分けてしまっては何も見えないのではないかと…」、「その人達はなぜ気づかなかったのだろう。清浄と汚濁こそ生命だということに」という台詞にあるように、二元論を超越した「不二」の境地が横たわっているとしか思えません。

 そんなナウシカだからこそ、森の人に「私と一緒に森へ来てくれませんか。私達は森と共に生きる道を選んだ一族です。そして腐海の秘密を知りました。あなたは私達と心を同じくする人だ」と誘われたとき、「ありがとう。とてもうれしい。でも、あなたは生命の流れの中に身をおいておられます。私は、ひとつひとつの生命とかかわってしまう… 私はこちらの世界の人達を愛しすぎているのです。人間の汚した、たそがれの世界で、私は生きていきます」と答えるのです。これは密教経典『理趣経』のクライマックス「百字偈」(ひゃくじのげ)にある、「菩薩にならんとする者は 今のこの世が尽きるまで 常に衆生の利をなして 悟りの世界に逃げ込むな」という内容と軌を一にしています。

 もちろん、これらの分析はすべて私の妄想です。宮崎さんが決して真言密教を参考にしたわけではなく、天才であるがゆえにたまたま描き出した世界観が似てしまったに過ぎないだけなのでしょう。でもそれが、ウィズ・コロナ時代を、そして近い将来また別の疫病に直面しながら生きるであろう私たちにとって必要な智慧ではないかと私には思えるのです。

 そんなナウシカは言います。「私達の生命は私達のものだ。生命は生命の力で生きている。その朝が来るなら、私達はその朝にむかって生きよう」。どんなにつらくても、どんなに「その朝」が怖くても、私はその朝に向かって生きようと思います。

2022年10月21日 坂田光永





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○ 2010年2月21日「立松和平さんの祈り」
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○ 2009年12月21日「『JIN』のようにはいかないもので」
○ 2009年11月21日「排他的?独善的!」
○ 2009年10月21日「アフガンに緑の大地を」
○ 2009年9月23日「笑いとため息」
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○ 2009年6月21日「臓器移植と『いのち』の定義」
○ 2009年5月21日「『地救』のために何ができるか」
○ 2009年4月21日「アイアム・ブッディズム・プリースト」
○ 2009年3月21日「おくりびとと『死のケガレ』」
○ 2009年1月21日「『伝道師』としてのオバマ」
○ 2009年1月1日「空と海をつなぐ」
○ 2008年10月28日「会津をめぐる」
○ 2008年9月21日「神秘主義」
○ 2008年7月21日「グリーフレス中学生」
○ 2008年5月21日「祈りと行動と」
○ 2008年4月21日「聖火の“燃料”」
○ 2008年2月28日「妖精に出会う」
○ 2008年1月21日「千の風になるとして」
○ 2007年10月21日「阿字の子が阿字の古里…」
○ 2007年8月21日「目覚めよ密教!」
○ 2007年6月21日「昔のお寺がそのままに」
○ 2007年4月21日「空海の夢」
○ 2007年3月21日「無量光明」
○ 2007年2月21日「よみがえる神話」
○ 2007年1月1日「伊太利亜国睡夢譚」
○ 2006年11月21日「仏教的にありえない?」
○ 2006年10月23日「天使と悪魔 ~宗教と科学をめぐる旅~」
○ 2006年9月21日「9/11から5年」
○ 2006年8月23日「松長有慶・新座主の紹介」
○ 2006年7月21日「靖国神社と仏教の死生観」
○ 2006年6月21日「捨身ヶ嶽で真魚を見た」
○ 2006年5月21日「キリスト教と仏教と「ダ・ヴィンチ・コード」」
○ 2006年4月21日「最澄と空海」
○ 2005年9月23日「お彼岸といえば…」
○ 2005年7月21日「お盆といえば…」
○ 2005年4月21日「ねがはくは花の下にて春死なん…」
○ 2005年3月21日「ライブドアとフジテレビと仏教思想」
○ 2005年1月21日「…車をひく(牛)の足跡に車輪がついて行くように」
○ 2004年8月21日「…私は、知らないから、そのとおりにまた、知らないと思っている」
○ 2004年7月21日「鈴と、小鳥と、それから私、みんなちがって、みんないい。」
○ 2004年6月23日「文殊の利剣は諸戯(しょけ)を絶つ」
○ 2004年5月21日「世界に一つだけの花一人一人違う種を持つ…」(SMAP『世界に一つだけの花』)
○ 2004年4月21日「抱いたはずが突き飛ばして…」(ミスターチルドレン『掌』)
○ 2004年3月23日「縁起を見る者は、法を見る。法を見る者は、縁起を見る」
○ 2004年2月21日「…犀(さい)の角のようにただ独り歩め」
○ 2004年1月21日「現代の世に「釈風」を吹かせたい ―心の相談員養成講習会を受講して―」
○ 2003年12月21日「あたかも、母が己が独り子を命を賭けて護るように…」
○ 2003年11月21日「…蒼生の福を増せ」
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○ 2003年8月21日「それ仏法 遙かにあらず … 」



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