仏 教 と現 代
炎上系僧侶
「お寺」で「炎上」とくれば三島由紀夫の「金閣寺」、というのはすでに昭和の話。今や「炎上」といえば、もっぱらインターネット世界の出来事となっています。特にツイッターやYouTubeなどのSNS(ソーシャル・ネットワーキング・サービス)ではしばしば「炎上」事件が起こります。それはお寺業界も例外ではありません。
先日は福山市内の浄土真宗の若手僧侶のYouTubeが「炎上」しました。彼が本堂の本尊仏を背景に、人気音楽グループの振り付けで替え歌を披露した動画をアップしたところ、思わぬ規模で拡散され、それを見た人の一部から猛烈な批判を受けました。
批判する人の気持ちもある程度は分かります。自分が大切に思っている仏教を笑いのネタにされてないがしろにされたと感じた人はいたでしょう。「ふざけすぎ」という反応も当然、想定されます。
ただ、中には批判というレベルではない、もはや人格攻撃や罵詈雑言といってもよいような反応も多く含まれました。彼への攻撃では飽き足らず、「やっぱ浄土真宗はダメだ」と宗派でくくって非難するスタイルも見られました。彼同様にツイッターやYouTubeを使う私にとっても、他人事ではないなと恐怖を感じたものです。
非難をする人の中には真言宗の僧侶もいました。「お前ごときが仏教を語るな」「仏教を毀損するな」というのが主な論旨でしたが、かなり執拗で攻撃的な表現だったので、私からすると「こんな人が仏教を語ってもよいのか?」と逆に心配しました。正直「あなたそんなに偉いんですか?」とも思いました。この人の日頃の言動が真言宗のイメージを毀損していないことを祈ります。
私の少ない経験に基づいて推測するに、こういうタイプの人は「仏教は有り難いものなのだから、そのままで多くの人に(あるいは必要な人に)届くはずだ」と思っていることが多い気がします。「古いものは古いやり方でよい」と考え、敷居を下げたり表現を現代風にしたりすることを嫌うのです。そのため、法衣ファッションショーとか、テクノ法要とか、H-1グランプリ(法話のグランプリ)とかが批判の対象になります。いわゆる「オリジナル」がよいのだから「アレンジ」は必要ないと考えています。
そんな人に私が言いたいのは、「でもあなたが受け継いだ時点でその仏教すでにめっちゃアレンジ加わってますよ」ってことなんです。私が昭和後期に受け取った仏教はすでに戦後アレンジが加わっていますし、戦前の仏教だって明治近代アレンジが加わっていますし、日本に伝わってきた仏教なんてどれも中華風味だし、そもそも日本仏教の各宗派なんて「ブッダ・オリジナル」からは程遠いわけで、それを自覚していない日本仏教の僧侶がもし存在したとしたらそれはもう僧侶としての基礎的素養に問題があるとしか言いようがありません。
それでもそのアレンジされた仏教を「仏教だ」と自信持って言えるのは、その基盤に「縁起」と「慈悲」を据えているからです。それに基づいている限りは仏教です。
「有り難いもの」を「有り難いまま」届ける方法はもちろん大事です。常にオリジナル(原点)に立ち返られるよう、そこも残し伝えていく必要はあるでしょう。逆に明治維新の時のように「古いものは不要!」「西洋化せよ!」という勢いが強すぎて貴重な伝統や文化が相当失われたこともありました。現代仏教が似たような危機にあることも一方で認識はしています。
しかし、アレンジの一切を否定したら、そんな仏教は時代の変化に取り残されて消え去ってしまうでしょう。そして仏教の言葉や感性を必要としている人に届かなくなってしまうでしょう。「そんなのもったいない!」「必要とする人に届けたい!」という情熱を持ったアレンジャーの存在によって、仏教は折々に姿形を変え、現代にまで生き残ってきたのです。その最たるものが、いわば各宗派の祖師たちです。祖師たちの多くは生きている間は「炎上」しまくりでした。最澄も法然も親鸞も日蓮も「炎上系僧侶」といっていいかもしれません(←こんなこと書いたらそれこそ炎上したりして)。
ただし、「炎上」が全部よくないものだとは考えません。私だって「この表現はちょっとおかしいんじゃないの?」「このお坊さんのツイッターは嫌いだな」と感じることはあります。それは究極のところ「縁起」と「慈悲」に反している場合です。道理が合ってなかったり、誰かの尊厳を傷つけたり、個人的思い込みを正当化するために仏教を利用していたりする人に対しては、批判が向かって当然だと思います。むしろ表現空間において批判が交わされること自体は健全なことです。そしてアレンジャーは時に批判を受ける覚悟がいります。もちろん節度を保った批判であることが前提ですが。
ところで、ハナシは変わって、死刑をめぐる「失言」で辞任した法務大臣のハナシ。こういうとき「そんな失言ぐらい大目に見ろよ」と、3年目の浮気のノリで擁護する人を見かけます。それはちょっと違うんじゃないかなと私は思います。公権力を持った人の「失言」というのは往々にして「ウケ狙いの不謹慎ネタ」か「隠しておくべき秘密」か「本音」のどれかです。ハンコ一つで人の死を決定できるという、ある意味これ以上無いほどの公権力を持った人物が、それをウケ狙いに使っていたということなのか、「実は適当にハンコ押してました」という秘密をバラしてしまったということなのか、それとも本音では人の死なんて軽いものだと考えていたということなのか、いずれか(あるいは全部)だと考えれば、そんな人物を大目に見る気にはなれません。こういう事例は「炎上」してしかるべきだと私は思います。
的外れな「炎上」もあるけど意味のある「炎上」もあると、無難なまとめで炎上を回避しておきたいと思います。
*写真は「炎上」つながりで、毎年11月21日に高野山福山別院で行われる柴燈護摩(さいとうごま)のもの
2022年11月21日 坂田光永
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