仏 教 と現 代

鎌倉殿の13仏教ネタ

 NHK大河ドラマ『鎌倉殿の13人』がついに完結しました。三谷幸喜さんの脚本が鬼のように冴え渡っていて、『吾妻鏡』の記述や最新の歴史考証を着実に踏まえつつ、そのパーツとパーツの間を見事に埋めていく物語には毎回、目を見張るものがありました。俳優陣、演出などスタッフのチームワークも最高で、過去の三谷作品ではおそらく最高傑作といってよいのではないかと思います。

 そんな傑作ドラマにふんだんに盛り込まれたのが仏教ネタでした。登場シーンから早速、神仏に祈る不安症の源頼朝が描かれたのを皮切りに、先日放送の最終回に到るまで、仏教ネタが全く出てこない放送回は無かったのではないかと思えるほどでした。

 そこで、私が注目した主要な仏教ネタをいくつかピックアップしてみたいと思います。

(1)頼朝の聖観音
 『吾妻鏡』によると頼朝の守り本尊は二寸銀の聖観音像とされていて、実際に頼朝は観音信仰が篤かったようです。ドラマ中の頼朝もこの観音像を髪の毛の中に隠し持っていて、これが政子や義時を経て、最終回に到るまで重要な場面で登場します。またドラマでは「観音経」もよく唱えられました。法華経の第25章「観世音菩薩普門品」は別名「観音経」として独立して読誦されることが多く、観音信仰は法華経信仰の派生形でありながら、庶民への浸透度としては法華経信仰を上回るものがあります。そして観音菩薩は慈悲の仏。最終的に北条泰時がこれを受け継ぐという展開は、悲劇的なストーリーにおける一筋の希望の光のようでした。

(2)伊豆山権現
 本稿「鎌倉頃の13人」(2022年2月21日)で触れたとおり、この大河ドラマは神仏習合が具体的に描かれていて、私自身も大変勉強になりました。この伊豆山権現は、明治維新の神仏分離令を受けて「伊豆山神社」と改称し、祭神も権現ではなくなっています。歴史ある神社が政府の命令一つでご神体を捨ててしまったことを、今の神社界の皆さんはどう受け止めているのでしょうか。

(3)文覚
 真言宗史のダーク・ヒストリーを彩る怪僧・文覚(もんがく)上人。ドラマでは市川猿之助さんがそれこそ「怪演」していました。文覚は北面の武士の出身で、恋愛がこじれて殺人を犯し出家したといいますから、しょっぱなから煩悩全開。おそらくはエネルギー量の多い人だったのでしょう。空海信仰が篤く、空海ゆかりの神護寺や東寺を再興しながらも、時の権力との距離感を間違えてしばしば流罪となりました。伝説上では「立川流」という異端的な密教の開祖とされています。

(4)全成
 頼朝の弟の1人、阿野全成(ぜんじょう)は、醍醐寺で修行した真言僧です。『鎌倉殿の13人』における仏教ネタの「ネタ元」の多くはこの人でした。九字を切ったり、真言を唱えたり、修法したり呪詛したり、演じた新納慎也さんも大忙しだったでしょうね。私が「なるほど」と思ったのは、北条政子・義時の妹(作中では実衣)とシレっと夫婦になっているところでした。現代の感覚では、明治以前に浄土真宗以外の僧侶が妻帯することはなかったというイメージが強いと思いますが、ところが実際のところ中世の僧侶はわりと簡単に妻帯していました。奈良時代に整えられた律令制が効力を持っていた時期は、僧侶は国家管理の下に置かれて戒律違反にも厳しかったものの、平安時代も半ばになると戒律は徐々に崩れていきました。特に皇族・貴族が政治的理由で出家させられ大寺院の要職に就くようになると、彼らの妻帯を止める力はどこにもないわけで、だんだん既成事実化していったようです。ですので、浄土真宗の開祖である親鸞が妻帯したことは、当時の感覚では特に革命的ではなかったといわれています。親鸞の妻帯が「画期的」とされるようになったのは江戸時代以降で、江戸幕府が寺院法度で僧侶の妻帯を禁止する一方、三河一向一揆で苦しんだトラウマから浄土真宗には強く出られなかったからというのが理由なのだそうです。

(5)弁慶
 ご存じ義経の付き人である武蔵坊弁慶は、実在かどうか怪しいものの、この頃の比叡山の僧兵を具現化した人物としてよく知られています。僧兵は大寺院が自らの荘園を自衛するために抱えた武装僧侶で、興福寺・東大寺・延暦寺・園城寺の4大寺院が特に勢力を誇っていました。時にこの4大寺院が共同戦線を組めば、源氏や平家を圧倒する軍事力となったそうです。大河ドラマで初期に登場した以仁王は園城寺で挙兵しており、おそらく相当な兵力を寺法師(園城寺の僧兵)に頼ったと思われます。また興福寺は奈良一国を治める事実上の守護であり、織田信長と互角の戦いをする石山本願寺や、国内最大の鉄砲生産拠点であった根来寺など、いくつもの寺が戦国大名をしのぐ存在感を見せました。「不殺生」を説く仏教の僧侶が戦国大名を凌駕する軍事力を持つというのは、なかなかに矛盾した現象ですね。

(6)呪詛
 いやーこれが実に面白かったんですよね。ドラマで何度か登場し、強烈な印象を残したのが呪詛(じゅそ)です。本来は「降伏(調伏)護摩」などによって煩悩を取り除き善心を起こさせる修法のことでしたが、いつしか特定の人物・集団に災いが降りかかるよう仕向ける祈祷のことを呪詛というようになりました。全成は2代将軍・源頼家を呪詛したのがばれて斬首になったとされています。ドラマで描かれた呪詛の人形は実際に寺院跡で出土したものをモデルにしているとか。なんとなく朴訥なところが逆に怖いですよね。

(7)頼朝の臨終出家と火葬
 ドラマの中で私が特に興味深かったのが、頼朝の死のプロセスでした。落馬して死の淵にある頼朝に施した「臨終出家」という作法は今回、初めて知りました。これは中世に浸透した浄土信仰のもと、極楽往生を遂げるには出家したほうがいいという考え方が貴族の間で広がり、それが頼朝の死を契機として板東武者や庶民の間にも広がっていったようです。それはいつしか臨終出家(死の間際の出家)から「死後出家」へと変遷し、葬儀で出家作法(引導作法)を施すという日本独自の葬儀スタイルへとつながっていきました。加えて平安時代前半ぐらいまでは行われていた陵墓造営や追号が廃れ、葬儀や死後の追善作法が全面的に仏教に委ねられる要因にもなったといいます。いわば臨終出家が「葬式仏教」の源流になったのですね。頼朝の火葬の方法を事細かに描写する下りも含めて、実に味わい深いシーンでした。

(8)増える念仏僧
 ドラマでは、わずかでしたが念仏僧が登場しました。2代将軍・頼家が「念仏さえ唱えれば救われる」などと吹聴している僧侶たちを不届きであるとして殺害しようとすると、北条時連(後の時房)が押しとどめるというシーンでした。『吾妻鏡』では、頼家が僧侶の黒衣の着用と念仏を禁止したと書かれているそうです。そして捕らえた念仏僧の黒衣を焼こうとしたところ、僧の一人・称念房が「今の政治は仏道にも道理にも外れた滅亡の元凶でしょう。しかし私の袈裟(黒衣)は正しい道をあらわしたものなので、焼くことはできないでしょう」と言い放ったそうです。その後、念仏禁止令は解かれ、頼家は世の笑い者になったとされています。『吾妻鏡』は頼家を不当に悪く書いている節があるので割り引いて考えるとしても、頼家がどんどん増える念仏僧に危機感を持っていた可能性はあるでしょう。実際、念仏信仰の広がりは一向一揆となって権力を脅かす存在になっていきます。

(9)高野山の荘園・大田の庄
 鎌倉の政所でしばしば議題に上がったのが荘園を巡るもめ事で、特によく登場したのが高野山の荘園・大田の荘でした。これは現在の広島県世羅町にあり、そもそもは平重衡が後白河院に寄進して始まったものが、後に後白河院から高野山に寄進された荘園です。一方で鎌倉幕府もここの地頭に三善康信を任命。康信は幕府問注所の執事ですから、鎌倉側としてもここは相当に重要な荘園だと認識していたことが想像できます。荘園の紛争は全国各地で起こっており、名義上の所有者である領家(院・公家・寺社)と、地頭として実効支配する武士とが争ったケースもあれば、逆に現地のもめ事を武士が収集して、そこからの上がりをきちんと納めることでむしろ領家に感謝されたケースもあったようです。荘園の歴史は複雑で、これを知らずに日本仏教も中世武士も語れないのですが、伊藤俊一『荘園』を読んだもののいまだじゅうぶん理解できていません。いつか荘園を通して日本の寺社の経済を読み解いてみたいものです。

(10)慈円
 後鳥羽上皇の側近でありながら承久の乱に反対した慈円は、九条家出身であり、天台宗の座主を務めた高僧です。また慈円は「必然の道理が歴史を動かす」と考えていて、その思想を記述した彼の著書『愚管抄』は一貫した歴史観によって叙述された日本初の歴史哲学書といわれており、後の『神皇正統記』などにも影響を与えたそうです。一方で歌人としても評価が高く、『新古今和歌集』には西行に次いで多くの歌が掲載されています。武士の時代の到来は必然であると慈円は見なしたようです。

(11)運慶
 日本史上最大の仏師・運慶。有名な東大寺南大門の金剛力士像を初め、慶派と呼ばれる仏師工房のリーダーとして数々の仏像を手がけました。とはいえ実際に運慶の真作だといわれるのは、高野山不動堂の八大童子像など数点に過ぎません。運慶は源氏や北条氏の依頼を受けることが多かったので、権力者に取り入った側面もありますが、ドラマ中では歯に衣着せぬ物言いで権力者を批評する魅力的なキャラクターとして造形されました。実際、写実主義的でリアルな作風ですから、案外そういう人物像のほうが当てはまるのかもしれません。ところで最終回、北条義時に依頼されて彫った運慶の仏像が登場します。これが何とも恐ろしい姿をしていて、いったい何を意味するのか気になるところです。顔はぐちゃぐちゃ、腹は餓鬼のように出っ張っていて飢餓感を感じさせながらも、手は施無畏印(せむいいん)と与願印(よがんいん)になっており、恐怖を取り除き願いをかなえる働きを示しています。これが運慶の見た晩年の義時の姿だということなのか。それとも義時の代わりに地獄に落ちる人身御供なのか。うーん、深い。深すぎる。

(12)鶴岡八幡宮(寺)
 今回の大河ドラマで最も残念だったのが鶴岡八幡宮の描き方でした。作中では当時の「八幡宮」という呼称は用いられず、八幡宮寺の日々の仏教的な営みのシーンもありませんでした。「純粋な神社」である現在の八幡宮に気を遣って、神仏習合時代の姿を描くのをはばかったのでしょうか。ただ、台詞の中でわずかに「八幡宮の神仏に祈る」のような表現でうっすらと「仏」の要素が表現されてはいました。また頼家の息子で3代将軍実朝を殺害した公暁(こうぎょう)が「別当」となり「千日参籠」の修行をおこなっていた場面もありましたので、鋭い人であれば公暁は神職ではなく「仏教僧」として八幡宮にいるのだと気づいてくれるかもしれません。

(13)唱えられた真言の数々
 「おん あぼきゃ べいろしゃのう まか ぼだら まに はんどま じんばら はらばりたや うん」(光明真言)を始め、ドラマでは数々の真言が唱えられ、しかもそのうちのいくつかは物語の軸になるものまでありました。筆頭が「おん たらく そわか」で、頼朝と政子の子である大姫が「みんなが幸せになれる呪文」だと言い出し、北条家のターニングポイントで折々に思い出されかけました(が結局誰も正しく唱えられない)。この真言、全成さんが言っていた通り「如意宝珠」の小呪です。如意宝珠とはどんな願いも意の如くかなえてくれるという玉のことで、主に密教で用いられますが、私はこれまで唱えたことはありませんでした。他には全成さんが祈祷中に五鈷鈴を振りながら唱えた「げんだ うん」や、同じく全成さんが死の間際に叫んだ「おん あふる あふる さらさら そわか」(深沙大将の真言)も印象的でしたが、いずれも唱えたことがありません。深沙大将(深沙大王)は「西遊記」の沙悟浄のモデルになったとされる蛇神で、「大般若経」を守護する十六善神のひとり。病気を癒やし、魔を除けるとされています。

 以上、挙げてみればちょうど「13」になりました。思えば当時は今よりずっと神仏の存在感が大きな時代です。世の中を動かした原動力の一つに仏教があったのは間違いありません。

2022年12月21日 坂田光永





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○ 2010年5月21日「仏法は汝らの内にあり」
○ 2010年4月23日「葬式は要らないか」
○ 2010年3月21日「再びオウム事件と仏教について」
○ 2010年2月21日「立松和平さんの祈り」
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○ 2009年12月21日「『JIN』のようにはいかないもので」
○ 2009年11月21日「排他的?独善的!」
○ 2009年10月21日「アフガンに緑の大地を」
○ 2009年9月23日「笑いとため息」
○ 2009年7月21日「臓器移植と『いのち』の定義 続編」
○ 2009年6月21日「臓器移植と『いのち』の定義」
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○ 2009年3月21日「おくりびとと『死のケガレ』」
○ 2009年1月21日「『伝道師』としてのオバマ」
○ 2009年1月1日「空と海をつなぐ」
○ 2008年10月28日「会津をめぐる」
○ 2008年9月21日「神秘主義」
○ 2008年7月21日「グリーフレス中学生」
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○ 2007年10月21日「阿字の子が阿字の古里…」
○ 2007年8月21日「目覚めよ密教!」
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○ 2007年3月21日「無量光明」
○ 2007年2月21日「よみがえる神話」
○ 2007年1月1日「伊太利亜国睡夢譚」
○ 2006年11月21日「仏教的にありえない?」
○ 2006年10月23日「天使と悪魔 ~宗教と科学をめぐる旅~」
○ 2006年9月21日「9/11から5年」
○ 2006年8月23日「松長有慶・新座主の紹介」
○ 2006年7月21日「靖国神社と仏教の死生観」
○ 2006年6月21日「捨身ヶ嶽で真魚を見た」
○ 2006年5月21日「キリスト教と仏教と「ダ・ヴィンチ・コード」」
○ 2006年4月21日「最澄と空海」
○ 2005年9月23日「お彼岸といえば…」
○ 2005年7月21日「お盆といえば…」
○ 2005年4月21日「ねがはくは花の下にて春死なん…」
○ 2005年3月21日「ライブドアとフジテレビと仏教思想」
○ 2005年1月21日「…車をひく(牛)の足跡に車輪がついて行くように」
○ 2004年8月21日「…私は、知らないから、そのとおりにまた、知らないと思っている」
○ 2004年7月21日「鈴と、小鳥と、それから私、みんなちがって、みんないい。」
○ 2004年6月23日「文殊の利剣は諸戯(しょけ)を絶つ」
○ 2004年5月21日「世界に一つだけの花一人一人違う種を持つ…」(SMAP『世界に一つだけの花』)
○ 2004年4月21日「抱いたはずが突き飛ばして…」(ミスターチルドレン『掌』)
○ 2004年3月23日「縁起を見る者は、法を見る。法を見る者は、縁起を見る」
○ 2004年2月21日「…犀(さい)の角のようにただ独り歩め」
○ 2004年1月21日「現代の世に「釈風」を吹かせたい ―心の相談員養成講習会を受講して―」
○ 2003年12月21日「あたかも、母が己が独り子を命を賭けて護るように…」
○ 2003年11月21日「…蒼生の福を増せ」
○ 2003年10月21日「ありがたや … (同行二人御詠歌)」
○ 2003年9月21日「観自在菩薩 深い般若波羅蜜多を行ずるの時 … 」
○ 2003年8月21日「それ仏法 遙かにあらず … 」



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