仏 教 と現 代

ご誕生1250年に思うこと

 今年2023年は「弘法大師ご誕生1250年」の年です。高野山では、5月14日(日)朝9時より、奥之院燈籠堂と壇上伽藍金堂でそれぞれ開白法会が営まれました。これから、6月15日の降誕会・青葉まつりをはさんで、7月9日(日)までの約2か月間、関連法会やイベントが連日行われます。

 弘法大師の誕生お祝いをする意義とは何でしょうか。弘法大師空海という人の業績を振り返り、その遺徳に思いをはせるというのはもちろんとして、やはり「すべての子どもたちの誕生を祝うことができるような社会をつくる」という視点も大事なのではないかと私は考えます。これを機に、子どもたちや子育て中の大人たちを取り巻く環境に目を向けてみたいと思うのです。

 おりしも日本政府は先般「異次元の少子化対策」という言葉を掲げました。異次元というからには何かすごい政策が出てくるのかと思いきや、今のところ「育休中のリスキリング」といったトンチンカンなもの以外、具体的には何も見えてきません。

 私自身、子育てをする側になってみて感じるのは、本当に「余裕がない」ということでした。子どものことに多くの時間を割かざるを得なくなり、そのぶん仕事で迷惑をかけているという罪悪感と、これを「迷惑」なんて思うのは子どもに申し訳ないという罪悪感にさいなまれ、精神的にも余裕がなくなってしまいそうでした。それでも私の場合は恵まれたほうだと思います。保育園を利用できない人、仕事を辞めざるを得ない人、周囲の手助けを得にくい人… いろんな苦悩が渦巻き、時にそれは臨界点を超えたりもします。こんなに大変なのでは正直、少子化も当然だろうと思ってしまいます。

 またある社会学者の分析では、日本の少子化の根本要因は「結婚離れ」であり、さらにその要因は若者の経済的困難にあるとのことでした。経済的な事情には左右されず恋愛から結婚にスイスイと進む欧米社会に比べて、日本は「正社員になるまでは結婚できない」「そんな仕事で妻子を養えるのか」的な空気が強く、経済的余裕がない人は結婚したくても諦めるケースが多いようです。逆に結婚できた人は子どもを複数もつことも多いのですが、それは結婚できない人からすればある意味で「特権」と見えるかもしれません。実際、マッチングアプリとかお見合いサイトでは男性の経済状況が大きなファクターになるとも聞きます。格差社会が少子化をもたらしていたんですね。

 私自身は(自分のことはさておき)無理に結婚しなくてもいいんではないか、ブッダだって結婚したけど家族を捨てて出家したんだし、なんて思ったりしますが、結婚・出産したくてもできない人が多い状況は改善しなきゃいけないんだろうとは思います。特に「少子化が問題だ!」と声高に叫んでいる人は、格差社会の問題に本気で取り組まなくてはならないでしょう。

 それと同時に、子どもたちをめぐる環境にもいろいろと課題を感じます。例えばこんなデータ。内閣府が2018年(平成30年)に調査した「若者の意識」に関する統計です(詳しくはこちら)。

 上のグラフは「自分自身に満足している」という質問への回答結果です。海外と比べ、「そう思う」と答えた日本の若者の数字の低さが歴然としています。日本の子どもたちはしばしば「自尊感情(自己肯定感)が低い」と指摘されていて、このデータもそれを裏付けていそうです。

 なぜ日本の子どもたちは自尊感情が低いのか。そのカギは次のデータにあると私は感じています。それが下のグラフ。「社会をよりよくするため、私は社会における問題の解決に関与したい」という質問に「そう思う」と答えた日本の若者が海外に比べて格段に低いのです。

 このデータを見てすぐに連想したのは、若い女性の政治参加を促す活動をしている能條桃子さんという方の、デンマークでの体験談でした。能條さんはデンマークに留学していたころ、通っていた学校のとある授業をつまらなく感じたことがあったそうです。能條さんがそれを友人に愚痴ったら、デンマークの友人たちがそれをメモに取り始め、それを先生に直接手渡したのだそうです。受け取った先生は授業のやり方を改め、少しずつ面白い授業になっていたとか。能條さんの不満が授業を変えるに至ったという体験です。

 このデンマーク人学生たちの行動力に能條さんが驚き、「日本なら愚痴を言って終わりだ」と感心していると、逆にデンマーク人学生たちは「なぜそんな非生産的なことをするのか」と首をかしげたそうです。その話を聞いて、今度は私自身の体験を思い出しました。

 私は高校時代、生徒会活動をしていました。高校で文化祭といえば「模擬店」が花形のはずなんですが、うちの高校は「火を使った調理は禁止」というルールがありました。そこで私の同級生がこのルールの撤廃を求めて署名活動を開始。瞬く間に全生徒の半数以上の署名を集めたのです。生徒会長だった私はこの署名を受け取り、意気揚々と教職員に提出しました。すると何が起きたか。私はある日の放課後、生徒会顧問に呼び出され、彼の教科の準備室に閉じ込められて床に正座をさせられ、「お前は馬鹿か」「何を考えてるんだ」と罵倒されたのです。幸か不幸か正座が得意だった私は夜遅くまでこの部屋で耐えるハメになりました。

 能條さんが出会ったデンマーク人学生の疑問への答えは、「日本では不満を表明しても聞き入れてくれないからだ」ということになるでしょうね。こうして日本では、家庭で、学校で、繰り返し繰り返し「無力感」を植え付けられます。自分が何か発言したから、行動したからといって、世の中がよくなるわけではないことを「学習」させられるのです。その結果がどうなるかは、2つ目のグラフが明らかにしています。「若者の投票率が低い」「若者は社会に無関心だ」と嘆く大人がいるとすれば、それは自分たちがそう教え込んだ結果であることを知らなければなりません。

 「子どもたちの自尊感情を高めましょう」と言われると、「子どもを甘やかせってことか」と感じてしまいそうですが、そうではありません。子どもを社会の一員としてとらえるということです。それはむしろ厳しいことかもしれません。発言や行動に対する責任も生じますから。でもそうやって小さな体験を積み重ねることで、自分は無力ではないということ、自分の発言や行動が問題を解決しうること、自分と社会がつながっていることを実感していくのだろうと思います。

 弘法大師は日本で初めての庶民の学校「綜芸種智院」(しゅげいしゅちいん)を設立しました。ここでは誰でも無料で読み書きを学ぶことができました。現代社会にはすでに学校があり、読み書きを学ぶことができます。これから子どもたちに学んでもらうべきは、「自分は無力ではない」ということではないかと私は思います。

2023年5月21日 坂田光永





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○ 2023年1月21日「救済新法、うちには無関係?」
○ 2022年12月21日「鎌倉殿の13仏教ネタ」
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○ 2020年9月21日「行者の心水よく佛日を感ずる」
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○ 2011年1月1日「平和の灯を高野山へ」
○ 2010年12月21日「台湾ダーランド」
○ 2010年11月21日「千人の垢を流して見えるもの」
○ 2010年10月21日「いのちの多様性」
○ 2010年8月21日「奈良、歴史『再発見』」
○ 2010年7月21日「身延山と日蓮」
○ 2010年6月21日「ボクも坊さん。」
○ 2010年5月21日「仏法は汝らの内にあり」
○ 2010年4月23日「葬式は要らないか」
○ 2010年3月21日「再びオウム事件と仏教について」
○ 2010年2月21日「立松和平さんの祈り」
○ 2010年1月1日「排他的、独善的な仏教にならないために」
○ 2009年12月21日「『JIN』のようにはいかないもので」
○ 2009年11月21日「排他的?独善的!」
○ 2009年10月21日「アフガンに緑の大地を」
○ 2009年9月23日「笑いとため息」
○ 2009年7月21日「臓器移植と『いのち』の定義 続編」
○ 2009年6月21日「臓器移植と『いのち』の定義」
○ 2009年5月21日「『地救』のために何ができるか」
○ 2009年4月21日「アイアム・ブッディズム・プリースト」
○ 2009年3月21日「おくりびとと『死のケガレ』」
○ 2009年1月21日「『伝道師』としてのオバマ」
○ 2009年1月1日「空と海をつなぐ」
○ 2008年10月28日「会津をめぐる」
○ 2008年9月21日「神秘主義」
○ 2008年7月21日「グリーフレス中学生」
○ 2008年5月21日「祈りと行動と」
○ 2008年4月21日「聖火の“燃料”」
○ 2008年2月28日「妖精に出会う」
○ 2008年1月21日「千の風になるとして」
○ 2007年10月21日「阿字の子が阿字の古里…」
○ 2007年8月21日「目覚めよ密教!」
○ 2007年6月21日「昔のお寺がそのままに」
○ 2007年4月21日「空海の夢」
○ 2007年3月21日「無量光明」
○ 2007年2月21日「よみがえる神話」
○ 2007年1月1日「伊太利亜国睡夢譚」
○ 2006年11月21日「仏教的にありえない?」
○ 2006年10月23日「天使と悪魔 ~宗教と科学をめぐる旅~」
○ 2006年9月21日「9/11から5年」
○ 2006年8月23日「松長有慶・新座主の紹介」
○ 2006年7月21日「靖国神社と仏教の死生観」
○ 2006年6月21日「捨身ヶ嶽で真魚を見た」
○ 2006年5月21日「キリスト教と仏教と「ダ・ヴィンチ・コード」」
○ 2006年4月21日「最澄と空海」
○ 2005年9月23日「お彼岸といえば…」
○ 2005年7月21日「お盆といえば…」
○ 2005年4月21日「ねがはくは花の下にて春死なん…」
○ 2005年3月21日「ライブドアとフジテレビと仏教思想」
○ 2005年1月21日「…車をひく(牛)の足跡に車輪がついて行くように」
○ 2004年8月21日「…私は、知らないから、そのとおりにまた、知らないと思っている」
○ 2004年7月21日「鈴と、小鳥と、それから私、みんなちがって、みんないい。」
○ 2004年6月23日「文殊の利剣は諸戯(しょけ)を絶つ」
○ 2004年5月21日「世界に一つだけの花一人一人違う種を持つ…」(SMAP『世界に一つだけの花』)
○ 2004年4月21日「抱いたはずが突き飛ばして…」(ミスターチルドレン『掌』)
○ 2004年3月23日「縁起を見る者は、法を見る。法を見る者は、縁起を見る」
○ 2004年2月21日「…犀(さい)の角のようにただ独り歩め」
○ 2004年1月21日「現代の世に「釈風」を吹かせたい ―心の相談員養成講習会を受講して―」
○ 2003年12月21日「あたかも、母が己が独り子を命を賭けて護るように…」
○ 2003年11月21日「…蒼生の福を増せ」
○ 2003年10月21日「ありがたや … (同行二人御詠歌)」
○ 2003年9月21日「観自在菩薩 深い般若波羅蜜多を行ずるの時 … 」
○ 2003年8月21日「それ仏法 遙かにあらず … 」



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