仏 教 と現 代

科学、ファーレル、ロボトミー

 宗教と科学はときに対立しているような場面もありますが、仏教は基本的には科学と相性が良いと思います。仏教思想のベースはブッダの「縁起」(この世界は「因」と「果」のつながり=「縁」によって成り立っている)という考え方で、これはとても数学的、自然科学的です。「1+1=2」というとき、「1」が「因」、「2」が「果」、そして「+」「=」が「縁」といえるでしょう。同じように「水素と酸素が化合して水ができる」というとき、「水素」「酸素」が「因」、「水」が「果」、そして「化合」が「縁」ですね。こういった例を挙げればきりがないくらいです。

 あるいは、物事を固定的にとらえない(諸行無常・諸法無我)、物事をいろんな角度から観察する(正見)、自分の考えに固執しない(無着)などの仏教の教えは、科学者の求められる資質・態度に通じるところがあります。般若心経や唯識を一流の科学者が評価するのも当然の帰結かもしれません。

 ただし、「科学的」といわれるものをすべて肯定してよいかといえば、そんなことはないような気もします。よっぽど科学的な素養がある人を除けば、世の中にあふれる「科学的」といわれるものの、どこまでが本当に科学的でどこからが「エセ科学」なのかは判断が難しいものです。「科学的」といわれるものを何でも妄信してしまえば、それは信仰です。世界最大の宗教は「科学」ではないかと思うこともあります。

 かたや科学を全部疑うというのも、それはそれで有り得ないことです。私たちの生活はすでに隅々まで科学で成り立っているので、いちいち否定していたら生きていけません。また新型コロナウイルスや気候変動のメカニズムを陰謀論とみなす人も少なからずいますが、その考えが現実の対策の足を引っ張るほどの影響力を持つとなると、それはもはや害悪でしかありません。科学を信じる/疑うのバランスは実に微妙です。

 現在、日本政府と東京電力は、福島第一原発事故のあとに溜まった大量の放射能汚染水を海に捨てようとしています。これは原発事故で発生した燃料デブリの冷却水と、原子炉建屋やタービン建屋に流入した地下水や雨水が混ざり合うことで発生した汚染水を、多核種除去装置(ALPS)で処理したものです。政府や東電、それに国際原子力機関(IAEA)は、汚染水の海洋放出を「科学的に正しい」と主張し、反対する人たちを「科学的でない」「偽情報」などと批判しています。

 このニュースを見て私が想起するのが、1945年9月6日、米軍准将トーマス・ファーレル(=右上写真の右)が発した「死ぬべきものは死んだ」という言葉です。同年8月6日の広島、9日の長崎への原爆投下によって、両市とその周辺では放射線被ばくによるとみられる健康被害が大量に起こっており、終戦後これを報道する海外メディアも現れました。これに危機感を持ったのが原爆開発のマンハッタン計画の副責任者であるファーレルです。彼は海外記者団を前に「広島・長崎では原爆症で死ぬべきものは死んでしまい、9月上旬現在において原爆放射能のため苦しんでいるものは皆無だ」と言い放ったのです。

 なぜファーレルはこんなことを言ったのか。第一に、占領軍に放射能の被害が及ばないことを示したかったから。第二に、アメリカによる原爆投下が残虐であるとの批判をかわしたかったから。そう推察されていますが、私は第三の理由もいくらかあると思っています。それは、今後も核開発を続けていくにあたって、放射能の悪影響を最小限に見積もりたかったからというものです。実際、その後の広島・長崎での原爆傷害調査委員会(ABCC)による被爆者への調査では、水や食べ物からの内部被ばくについては無視されました。このABCCの調査がもとになって現在の国際放射線防護委員会(IPCC)の被ばく基準が作られています。放射能の危険性をできるだけ小さく見せることは、核開発だけでなく原子力発電の推進にも有効でした。

 同時にそれは実際のヒバクシャの被害を軽視することでもありました。原発労働や原発事故のヒバクシャだけでなく、現在でも続く「黒い雨」訴訟において被害者の主張が「科学的でない」とされるのも、ABCCの調査姿勢、ひいてはファーレルの発言が影響していると思います。

 人はときに自説を正当化するために「科学的」という言葉を使います。しかしその「科学」にはいくつかの留保がつくことを忘れてはいけません。それはどういう立場で導き出されたのか。そこに予断や先入観はないか。恣意的なデータの取捨選択は行われていないか。その研究には誰が資金を出したのか。

 ところで、「ロボトミー」という言葉をご存じでしょうか。精神科治療の一種で、精神疾患の患者の大脳の前頭葉と視床との間の神経繊維を切断破壊する外科手術です。大雑把にいうと、脳の神経の一部をちょん切ってしまうという、想像するだけでもおぞましい手術です。この手術によって患者の暴力や自己破壊行為が収まったとされました。でもそれって単に脳の機能が失われただけでは?と思ってしまいます。信じがたいことに、これが20世紀半ばまで世界各地で行われており、しかも1949年にはロボトミー手術の開発者がノーベル賞を受賞しているのです。つまり、ある時期までロボトミーは「科学的」だったのです。

 あるいは第2次大戦中・冷戦中のアメリカでは、「科学」の発展のためと称して、今では考えられないような人体実験が行われていました。実験台になったのは孤児院の孤児たち、精神病院の患者、それに知的障害の子どもたちでした。被験者となった少年や患者に病原菌を注射したりウイルスを感染させたり、さらには放射能入りのお菓子を食べさせたりしたといいます。

 そもそも広島・長崎への原爆投下それ自体が「実験」だったという側面もあります。広島への原爆投下が午前8時15分、長崎が午前11時2分と、あえて時間帯を分けているのは、人体への放射能の影響を確かめるためであることに加え、人々が屋外にいるのと屋内にいるのとでどの程度、被害の差が出るのかを比較しようとしたからだと思われます。当初は長崎ではなく小倉が標的だったので、狙った時間帯はもう少し早いかもしれませんが、そのぶん都市の規模が近いので比較対象としてはより「有効」ということになるかもしれません。

 そうやって積み上げられたのが現在の放射線防護の考え方だと思うと、そこには大いなる「留保」をつけなければなりません。汚染水の海洋放出が「科学的に正しい」といわれるとき、日本政府や東電、それにIAEAが、原子力開発を推進する立場であることを踏まえずにはいられませんし、仮にそれが現時点で「科学的」であったとしても将来的にもずっとそうだとも言い切れません。遠からず「汚染水の海洋放出はロボトミーだった」といわれることのないよう、科学を語る人々はどうか、諸行無常・諸法無我、正見、無着の態度で臨んでいただきたいと思います。

2023年8月21日 坂田光永





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