仏 教 と現 代

真言宗の立教開宗はいつ?

 10月9日から月末まで、京都の東寺で「真言宗立教開宗1200年記念特別公開 東寺のすべて」という企画が開催されています。普段は閉じられている堂塔の中を見ることができるほか、土門拳の写真展なども行われています。京都のシンボルといってもいい、あの五重塔の内部なんて興味深いですよね。チャンスがあればぜひ足をお運びください。

 ところで、この特別公開は「真言宗立教開宗1200年」を記念して行われるということなんですが、「え?そうだったの?」と思われた方、少なくないんじゃないでしょうか? 実はお恥ずかしながら私もその一人でした。来年2024年は法然上人による浄土宗開宗850年なんだということは把握していたのに、肝心の真言宗の開宗についてはピンと来ていませんでした。

 そこで慌てて調べたところ、驚くべきことが明らかになりました。なんと、真言宗の立教開宗がいつなのか、はっきりしないのです。

 まず東寺が立教開宗1200年としている根拠は何かというと、東寺真言宗のホームページでは「真言宗の歴史は、弘仁14年(823年)に東寺が嵯峨天皇から空海に下賜され、真言密教の根本道場となった時から始まります」と書かれています。要するに、東寺が真言密教のお寺になったのが真言宗の始まりだという理屈です。

 一方、我々が所属する高野山真言宗の見解はどうか? 金剛峯寺のホームページを開くと、「立教開宗」という項目に、「大同四年(809年)、都へ 上ったお大師さまは、翌弘仁元年(810年)、時の帝嵯峨天皇(さがてんのう)に書を奉り、『真言宗』という宗旨を開くお許しを得て、いよいよ真言密教を日本に広め、世の中の迷える人、苦しむ人の救済と、社会の浄化におつくしくださることになりました」と書いてあります。あれあれ? 弘仁元年(810年)に立教開宗したことになってます? でも2010年、あるいは2009年に「立教開宗1200年記念」の行事をした記憶はありません。

 さらに真言宗智山派では、派の宗法第2条に「大同二年、平城天皇の勅許を得て真言宗を開創し」と明記されているそうです。おやおや? どうなってるの?

 宗門としての「真言宗」の始まりは一体いつなのか? いろいろ情報をあさってみたところ、おおむね次のような考え方が見受けられました。

(1)大同2年(807年)説
 この前年の大同元年(806年)10月、唐で恵果阿闍梨から伝授を受け真言宗第八祖となった弘法大師空海は日本に帰国し、朝廷に『御請来目録』を提出しました。そして翌年、京にのぼって平城天皇から真言宗宣布の勅許を得たとの記述が『金剛峯寺建立修行縁起』に登場するそうです。ただ通説では、大同4年7月に太政官符が下るまで空海は太宰府に留め置かれたり和泉の槙尾山寺に滞在したりしていて、上洛していないことになっています。また大同2年11月8日、大和の久米寺で『大日経』を講讃したとされていますが、これもあくまで伝説であるとして学術的にはスルーされているようです。とはいえ、伝統的にはこの「大同2年説」が最も重視されていて、実は高野山でも、明治39年(1906年)に金堂で「弘法大師開宗1100年記念法要」が厳修されたといいます。

(2)弘仁元年(810年)説
 前述の通り高野山では現在この説を採用していると見受けられますが、その根拠はよく分かりませんでした。しかも高野山は、明治時代には「大同2年説」に基づいて法要を執り行ったりしていて、特にこれといった定見があるわけではなさそうです。高野山にとってはむしろ、嵯峨天皇の勅許を得て高野山を真言密教の根本道場とした弘仁7年(816年)を、事実上の「立教開宗」とする見方のほうが強いかもしれません。末寺のホームページにもしばしば「弘仁7年に高野山を開創し、真言宗を開宗」などと書かれていたりします。ただ、宗門としての真言宗の成立と高野山の開創とは、ちょっと次元が違う事柄のような気もします。

(3)弘仁14年(823年)説
 東寺の見解がこれですね。この年1月、空海は嵯峨天皇より東寺を下賜され、それを「教王護国寺」と改称。10月には「定額僧50口を東寺に置く官符」によって他宗の僧侶の雑住を禁じたことで、東寺が純粋な真言密教の寺院となりました。これを立教開宗の年と称するのはやや強引にも見えますが、空海自身の著述で初めて明確に「真言宗」の呼び名が登場するのは、実はこの弘仁14年に東寺下賜を受けて奏上した『真言宗所学経律論目録』においてなのだそうです。名称という観点からいえば、確かに弘仁14年説は有力です。

(4)天長7年(830年)説
 淳和天皇の代、「天長勅撰六本宗書」が編纂され、法相・華厳・三論・律・天台諸宗とともに、真言宗の教学を示す書として空海が『秘密曼荼羅十住心論』を著したのがこの年です。歴史学者の家永三郎は、例えば浄土真宗が親鸞の『教行信証』成立年を立教開宗としていることなどから、この説を唱えていたといいます。しかし、六宗の1つとして空海の書が選ばれている時点で、すでにこれ以前に真言教団が成立していたとみなすべきでしょう。それに他宗との比較優位を説く教相判釈的な書は『弁顕密二教論』ほか多数存在しますし、そもそも他宗の立教開宗の基準を当てはめる必要もありません。

(5)承和2年(835年)説
 空海入定の直前となるこの年の1月、ついに真言宗に年分度者3名の勅許が下りました。年分度者とは、1年間に得度出家させることができる僧侶の人数のことで、朝廷が宗派ごとに定めました。平安時代の途中までは国が宗派の定員を定めていたのです。確かに国(朝廷)が独立した宗派として間違いなく認めた証であり、天台宗では年分度者が認められた延暦25年(806年)を立教開宗の年と定めています。とはいえ(4)と同様、他宗の基準を真言宗も採用しなければならない理由はありませんし、さすがに遅すぎると思います。

 このように真言宗立教開宗の共通認識は定まっていません。そればかりか高野山真言宗などでは宗派としての公式見解もありません。そのことには少々驚きつつも、まぁ考えてみれば「いつ真言宗は成立したのか?」という問いは案外に難しいという気もしてきました。

 例えば「いつ鎌倉幕府は成立したのか?」という問いだって、かつては「1992年(源頼朝が征夷大将軍に任命)」だったものが、いつしか教科書では「1185年(全国に守護・地頭を設置)」に書き換えられ、そして今ではそれも疑問が投げかけられているという状況です。そもそも当時「幕府」という名称は存在しなかったわけで、鎌倉を中心とする軍事政権の特質をどう見るかによって基準は変わってきます。1180年に頼朝が鎌倉に入り、少しずつ権力機構を整えていき、朝廷にその実力が認められ、ついには1221年の「承久の乱」で鎌倉方が後鳥羽上皇に勝利して力関係が完全に逆転するまでの間に、徐々に成立していったとしか言いようがないのです。

 宗門の成立年にしたって、その独自組織が整備された年なのか、国が何かしらの公認をした年なのか、宗派の教理が内外に示された年なのか、どれを採用するかで変わってきます。教理が示されたという点でいえば、大同元年に『御請来目録』が著された時点ですでに真言密教の真髄は明確に示されていますし、空海ご本人の意識からすればこれが立教開宗にいちばんふさわしい時期かもしれません。

2023年10月21日 坂田光永





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