仏 教 と現 代
石山寺から平等院へ
11月5日、光明院主催の参拝旅行「源氏物語」を実施しました。行き先は大津市の「石山寺」、宇治市の「宇治上神社」と「平等院」の3寺社(詳しくは参拝旅行報告のページをご覧ください)。とにかくよく歩き、よく見て回ったお参りでした。現地合流組2名を含む計17名のご参加をいただき、終始にぎやかな楽しい旅行となりました。
大河ドラマ『光る君へ』にも頻繁に登場する石山寺は、平安時代に「石山詣」が大ブームとなった場所です。「私たちも平安貴族になったつもりでお参りしましょう」とバスの車中で私から皆さんにお話しし、道中安全を祈願して『観音経』(妙法蓮華経普門品第二十五偈)を読経。また参加者の中には歴史に詳しい方や『源氏物語』について勉強された方がおられたので、その方々からもお話を伺いながら大津へと向かいました。
そうこうしていたら現地到着。とりあえず運慶・湛慶作といわれる仁王像がにらみをきかせる「東大門」の門前で記念写真をパシャリ。門をくぐってしばらくすると長い階段があり、それを頑張って上るとまた本堂前に階段が待っています(=右上写真)。浄土真宗中興の祖をお祀りする「蓮如堂」がなぜか本堂脇にあるので、それを拝みながら階段を上ります。
石山寺の「本堂」は、本尊がいる「正堂」、あいだにある「相の間」、礼拝用の場所である「礼堂」の3つのお堂が連結した珍しい建物です。まずは礼堂に靴を脱いで上がらせていただき、ここで再び『観音経』を読経しました。平安時代当時の「石山詣」で読まれたであろうお経です。続いて内陣(正堂)にお邪魔して様々な仏さまを間近で拝見。ご本尊の如意輪観音は秘仏なので厨子の外からのお参りでしたが、平安時代の観音信仰の面影をしっかり感じ取ることができました。
本堂を出ると、相の間の『源氏の間』にいる紫式部像とご対面。なぜこんなところにおられるのかというと、紫式部がここに参籠し『源氏物語』を起筆したといわれているためです。実際、平安貴族の特に女性たちから篤く信仰され、『枕草子』『蜻蛉日記』『更級日記』などにも登場するほか、『源氏物語』にも空蝉の石山詣のシーンが描かれています。
この後、私たちは「三十八所権現社」、「経蔵」、「紫式部供養塔」、国宝の「多宝塔」、琵琶湖まで眺められる「月見亭」、花山院ゆかりの「心経堂」、宝物が展示されている「豊浄殿」、東レが一社提供の「光堂」、記念撮影スポットでもある「紫式部像」、そして最後に「大河ドラマ館」と、ほぼ境内の主要なポイントをすべて巡りました。当初は「ガッツリ参拝コース」か「大河ドラマ散策」かで2グループに分けようと思っていたのですが、結局全員で全部を歩くということになりました。
ちょうど「豊浄殿」では土佐光起の「紫式部観月図」、能の「源氏供養」の台本など、紫式部・源氏物語ゆかりの展示が行われていました。「源氏供養」とは、紫式部が物語という「うそ」を書いたせいで地獄に堕ちたため、高僧がその供養をして彼女を救済するというお話です。なんだそりゃ?という設定なのですが、平安時代末期には実際に行われていたらしく、当時の仏教が紫式部を罪人視したのは本当のようです。また石山寺に伝わる経典も展示されていて、陰陽師の「禹歩」(うほ)の作法について書かれた文書などを見ることができました。
個人的に面白かったのは、僧衣を着ていたせいか、見ず知らずの一般参拝者からよく声を掛けられたことでした。大河ドラマ館から出てきた女性グループからは「お寺はどっち?」と尋ねられました。ここはすでにお寺なんだけどな、と思いつつ「あっちの階段をのぼったら本堂があります」と答えると、「じゃぁいっか」と帰って行かれました。また大河ドラマ館内では中年のおじさんに突然「このお寺はいつできたの?何時代?」と質問され、とっさに「奈良時代です」と返すと、こんどは「東大寺より古い?新しい?」と聞かれ、適当に「古いです!」と答えておきました(正解だったようです)。
石山寺の門前で昼食休憩をとり、お土産を買ったりしてからバスに乗車。続く参拝地の宇治上神社へ向かいます。ここは駐車場へ入る道が狭いため、宇治川をはさんで対岸にある平等院へ駐車し、徒歩でお参りすることに。皆さん思いのほか健脚で、無事に日本最古の神社建築を見ることができました(=左写真)。
そこから来た道を戻って、いよいよ平等院へ。すでに予定時刻を過ぎていたものの、せっかくなので鳳凰堂(=右下写真)の内部拝観を予約し、待っている間に鳳凰堂正面の有名な風景を堪能しました。
このたびの参拝で初めて知ったのですが、鳳凰堂の前の池は「阿字池」といわれていたり(阿字=大日如来を表す梵字のこと)、創建当初の金堂(本堂)の本尊は大日如来であったりと、実は密教のお寺としてスタートしているんですね。それがいつしか金堂は観音堂となり、浄土信仰の高まりとともに「阿弥陀如来のお寺」として認知されるようになっていきました。宗派としては「単立」で、天台宗と浄土宗のお寺が交代で住職を出しています。
そうこうしていたら内部拝観の時間がやってきました。案内係の方について中に入ると、丈六(一丈六尺)の巨大な阿弥陀如来坐像が眼前に立ち現れました。平安時代の天才仏師・定朝がつくった現存唯一の仏像です。光背には大日如来など様々な仏像、壁には雲中供養菩薩像があり、またうっすらと読み取れる壁扉画「九品来迎図」があったりと、その威力に圧倒されます。やはり内部拝観をしてよかったと思いました。
その後、隣接するミュージアム「鳳翔館」を見学し、たくさんの「阿弥陀三尊来迎図」や「阿弥陀聖衆来迎図」を見ながら当時の人々の極楽往生の願いに思いを馳せました。帰りのバスは予定より40分遅れで平等院を出発したものの、運転手さんの頑張りで定刻の帰着となったのでした。
このたび石山寺から平等院への参拝は、表向き「大河ドラマにちなんで」といううたい文句ではありましたが、はからずも興味深い組み合わせとなりました。というのは、平安前期に高まった「観音信仰」が、やがて平安後期の「阿弥陀信仰」へと続いていく、そんな時代の大きな流れを象徴する2か寺であったからです。華やかな貴族文化の陰で、様々に行き難さを抱えた女性たちが一心に救いを求めた観音菩薩。その拠点こそ石山寺でした。そして現世の救いを求める観音信仰がやがて、来世の救いを求める阿弥陀信仰へと発展していく中で極めて大きなインパクトを与えたのが平等院でした。
日本の浄土信仰は仏教史上の革命でした。修行して悟りを得ることで救われていくという元来の「悟りの仏教」から、仏にすがって救済を得るという「救いの仏教」への大転換。それは決定的には浄土宗の開祖・法然上人によってもたらされたわけですが、その革命には長い「前夜」があったのです。そう、石山寺と平等院こそが、まさにその「革命」をはぐくんだ培地なのでした。
「石山寺から平等院へ」という旅は、いわば「観音信仰から阿弥陀信仰へ」「悟りの仏教から救いの仏教へ」という仏教史の激動をたどる旅でもあったのです。そしてその歴史の末端に、阿弥陀如来を本尊としてまつる当山、光明院も存在するのです。
2024年11月21日 坂田光永
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