仏 教 と現 代
べらぼう×仏教ネタ探し
2025NHK大河ドラマ『べらぼう ~蔦重栄華乃夢噺~』の主人公は、蔦屋重三郎。ほとんど誰も知らないんじゃないかと思う、かなりチャレンジングな選定です。かくいう私も発表があるまで名前も聞いたことがありませんでした。
そんな私でも喜多川歌麿、葛飾北斎、十返舎一九、曲亭馬琴、そして東洲斎写楽は知っています。蔦重は彼らの作品を世に出した版元。つまり編集・出版社、もっといえばプロデューサーということになりましょう。
時代は江戸時代の中・後期。西暦1750年に蔦重は生まれています。家康から始まって全15代、約260年続いた徳川将軍家の治世は、ちょうど8代・吉宗の頃が折り返し地点。そこから田沼意次・松平定信といった著名な老中が政権を仕切る時代になります。蔦重が活躍したのはそんな頃です。
都市の商業を活性化させ、ほとんど開国状態といってもいいほどに海外とも盛んに交易をおこなった田沼時代。百万都市・江戸の街には空前の出版ブームが到来し、洒落本、読本、黄表紙、狂歌集、浮世絵などを庶民が買い求めました。その中心にいたのが蔦重です。彼は様々な芸術家を見つけ、育て、世に出していきました。
その蔦重の出身地は、あの吉原です。遊郭に華やかなイメージを持つ人もいるかと思いますが、その実態は悲惨なものです。借金と引き換えに身売り同然で連れてこられた女郎たちは、トップスターになっても金は様々な理由で抜き取られ、落ちぶれれば一日の食事もままならず、病気になれば捨てられていきます。当時、江戸で最も広がった病気は「梅毒」だったそうです。
『べらぼう』の初回は、そんな吉原の情景がかなり露骨に描かれました。その描写に視聴者からは賛否が噴出。中にはSNS上で「#べらぼうの打ち切りを求めます」というハッシュタグも登場しました。
私は脚本家・森下佳子さんの大ファンで、『JIN』『ごちそうさん』『義母と娘のブルース』『ファーストペンギン』『大奥』など好きな作品を挙げればきりがありません。そんな私でも、確かに初回の表現にはいろいろと課題があったように感じました。特に、亡くなった4人の女郎の裸を描いたシーン。家族視聴を遠ざけるような「攻めすぎ」な表現という点もあるのですが、何より「遺体」を演じた女優さんたちが現場で丁寧に扱われていないことを思わせるエピソードがいろいろと出てきて、森下ファン、大河ファンとして実に悲しく思いました。「リアリティ優先」というなら、むき出しの裸ではなく「すまき」にすべきですし、もっと痩せ細っていなければおかしいはずです。結局、見た目のインパクトを狙った「あざとい」演出だったといえます。「インティマシー・コーディネーター」を抜擢したかどうかは本質的ではなく、つまりは演出陣が5人とも男性であったということに帰結するのではないでしょうか。江戸文化の「陰」の部分を描く作品が、現代の「陰」に無自覚であったなんて、これでは一周回って痛烈なアイロニーです。
とはいえ、巻き起こった批判の中には「ちょっと違うのでは」と感じたものも少なくありません。女郎の生活改善を図るために蔦重が宣伝本づくりに奔走する場面に対し、「それは搾取の構造を強化することにしかならない」という批判が、当の蔦重自身への評価として発せられたりもしました。確かに現代に身を置いて当時を分析すればその通りですし、人権やジェンダーなど現代的価値観は重要なのですが、それをもって「後出しじゃんけん」のように当時の人々をジャッジするのは、逆に人権を求めて闘った後世の人々に対して失礼ではないかと思います。私は「当時の吉原の茶屋に自分が生きていたら、いったい何ができるだろうか?」と考えてみたいのです。あるいは『JIN』のように、あなたが江戸時代の吉原にタイムスリップしていたら何ができるかを考えてみてほしいとも思うのです。搾取構造を根本的に変革することは可能でしょうか? (西洋的な文脈での)人権概念がない世界で、あなたはどうやって闘いますか? できることはあまりにも少なく、その力は小さい。皮肉でも極論でもなく、私はまじめに悩んでしまうのです。
そういう中で少なくとも作中の蔦重は、できる限り最大限の「闘い」を繰り広げているように私には感じます。それが女郎を取り巻く社会構造を変革しえないものだったとしても、当の女郎たちの痛みに寄り添おうとしている姿勢には心を打たれるのです。だから私は、引き続き『べらぼう』を、蔦重の「闘い」を見守っていきたいと思っています。
さて、とはいえここはお寺のホームページですので、何かしら仏教的話題にも触れなければいけません。これが直接的にはあんまり無いんですよね。ということで今、必死になって仏教ネタを探しているところです。印刷の歴史、江戸幕府の仏教・宗教政策、江戸時代のお寺と仏教の在り方、江戸の信仰スポットなど、なんとかこじつけて… いや関連付けて語りたいと思っていますので、乞うご期待!
2025年2月21日 坂田光永
《バックナンバー》
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○ 2024年12月21日「源氏物語がつむぐ仏教」
○ 2024年11月21日「石山寺から平等院へ」
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○ 2024年9月21日「松岡正剛という曼荼羅」
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○ 2024年7月21日「浄土信仰革命前夜」
○ 2024年6月21日「空海展に行ってきました」
○ 2024年5月21日「バズってます、空海展」
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○ 2024年3月21日「唐招提寺と薬師寺」
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○ 2024年1月21日「災害大国が災害対策先進国になる道」
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○ 2023年11月21日「弔いの日」
○ 2023年10月21日「真言宗の立教開宗はいつ?」
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○ 2023年8月21日「科学、ファーレル、ロボトミー」
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○ 2023年5月21日「ご誕生1250年に思うこと」
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○ 2023年3月21日「家康VS本願寺」
○ 2023年2月21日「ロシアの戦争と『はだしのゲン』」
○ 2023年1月21日「救済新法、うちには無関係?」
○ 2022年12月21日「鎌倉殿の13仏教ネタ」
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○ 2022年10月21日「その者、曼荼羅の野に降り立つべし」
○ 2022年9月21日「2つの国葬」
○ 2022年8月21日「政教分離と島地黙雷」
○ 2022年7月21日「民主主義の本当の危機」
○ 2022年6月21日「役に立たない仏教」
○ 2022年5月21日「みろく世もやがて、命どぅ宝」
○ 2022年4月21日「藤子<不二>雄論」
○ 2022年3月21日「帝国ロシアを突き動かすルーシ神話」
○ 2022年2月21日「鎌倉頃の13人」
○ 2022年1月21日「捨身の虎と明恵上人」
○ 2021年12月21日「ラスト・サムライ」
○ 2021年11月21日「LGBTQ+的に仏教はあり?」
○ 2021年10月21日「『日本習合論』」
○ 2021年9月21日「9・11から20年」
○ 2021年8月21日「お盆に大習合」
○ 2021年7月21日「渋沢栄一と明治神宮」
○ 2021年6月21日「五輪」
○ 2021年5月21日「天平のワクチン」
○ 2021年4月21日「日本仏教の開祖・聖徳太子」
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○ 2020年10月21日「弘法大師号下賜1100年」
○ 2020年9月21日「行者の心水よく佛日を感ずる」
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○ 2020年3月21日「本当に恐ろしいのはウイルスか」
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○ 2019年10月21日「仁和寺で祈る」
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○ 2019年6月21日「即位灌頂」
○ 2019年5月21日「一遍聖絵と時宗の名宝」
○ 2019年4月21日「中寿」
○ 2019年3月21日「お墓の歴史」
○ 2019年2月21日「死にたい気持ちと向き合う」
○ 2019年1月21日「梅原猛と空海」
○ 2018年12月21日「書道家・金澤翔子さん」
○ 2018年11月21日「嵯峨天皇と般若心経」
○ 2018年10月21日「仏像と日本人」
○ 2018年9月21日「明治150年というけれど」
○ 2018年8月21日「オウム事件は終わらない」
○ 2018年7月21日「自然の摂理」
○ 2018年6月21日「葬式仏教正当論」
○ 2018年5月21日「相撲と女人禁制」
○ 2018年4月21日「即身会 歩みとこれから」
○ 2018年3月21日「お寺の未来」
○ 2018年2月21日「『空海 KU-KAI』」
○ 2018年1月21日「犬~異界の声を聴く~」
○ 2017年12月21日「井伊谷と龍潭寺」
○ 2017年11月21日「『教団X』」
○ 2017年10月21日「結縁灌頂 成満御礼」
○ 2017年9月21日「方舟と大乗」
○ 2017年8月21日「和編鐘の響き」
○ 2017年7月21日「中村敦夫『線量計が鳴る』」
○ 2017年6月21日「築地市場と築地本願寺」
○ 2017年5月21日「豊臣家を滅ぼしたあの鐘銘」
○ 2017年4月21日「愛国と信仰」
○ 2017年3月21日「氷川神社と喜多院」
○ 2017年2月21日「トランプ大統領と福音派の距離感」
○ 2017年1月21日「共命の鳥」
○ 2016年12月21日「日光東照宮と輪王寺」
○ 2016年11月21日「天皇の生前退位は『仏教の弊害』?」
○ 2016年10月21日「追悼、日野西眞定先生」
○ 2016年9月21日「駆込み女と駆出し男」
○ 2016年8月21日「お盆と神道」
○ 2016年7月21日「亡国の相」
○ 2016年5月21日「星籠の海」
○ 2016年4月21日「花まつりの対機説法」
○ 2016年3月21日「徳川家の菩提寺・増上寺と厭離穢土」
○ 2016年2月21日「阿弥陀さん保存修理事業が成満」
○ 2016年1月21日「ミッセイさんと仏教のアンビバレント」
○ 2016年1月1日「悟空の年」
○ 2015年11月21日「『ボクは坊さん。』が映画化」
○ 2015年10月21日「寺院消滅」
○ 2015年9月21日「安保法制と仏教界」
○ 2015年8月21日「日本霊性論」
○ 2015年7月21日「隠す言葉、明かす言葉」
○ 2015年5月21日「太古からのエネルギー」
○ 2015年4月21日「1200年という『ものさし』」
○ 2015年3月21日「天上天下唯我独尊」
○ 2015年2月21日「私はシャーリプトラ」
○ 2014年12月21日「下山する勇気」
○ 2014年10月21日「御嶽山と川内原発」
○ 2014年8月21日「天皇と日本人(下)」
○ 2014年7月21日「天皇と日本人(上)」
○ 2014年6月21日「地獄へようこそ」
○ 2014年5月21日「死は自然なもの」
○ 2014年3月21日「土曜授業は仏教の衰退を招く」
○ 2014年2月21日「暦の上ではジャニュアリー」
○ 2014年1月21日「『馬力』というものさし」
○ 2013年12月21日「高野山にロックフェラー」
○ 2013年11月21日「道徳を教科にするかどうか、自由に話し合いなさい」
○ 2013年8月21日「線香に焦らず火をつける」
○ 2013年7月21日「チャランケの精神で」
○ 2013年6月23日「会津墓地に届くか念仏の声」
○ 2013年5月21日「色彩を持たない多崎つくると、彼の色彩の話」
○ 2013年4月23日「福島から来た『吊るし雛』」
○ 2013年3月21日「三十三間堂の壮観」
○ 2013年2月21日「星に願いを」
○ 2013年1月21日「増蒼生福」
○ 2013年1月1日「我等懺悔す無始よりこのかた」
○ 2012年10月21「三国伝来」
○ 2012年8月23日「いじめを止めようとしている君へ」
○ 2012年6月21日「比叡山の静謐」
○ 2012年5月21日「時間を守る」
○ 2012年4月21日「五大に皆響きあり」
○ 2012年3月21日「永劫に残る核のごみ ~ドイツツアーに参加して~」
○ 2012年2月21日「from 3.11 私たちは変わったか」
○ 2012年1月21日「汚い清盛、高野山から厳島へ」
○ 2011年12月22日「人は土から離れては生きていけないのよ」
○ 2011年11月21日「鞆の浦の古さと新しさ」
○ 2011年10月21日「永平寺の懺悔と「もんじゅ」」
○ 2011年9月21日「日東第一形勝300年に学ぶ」
○ 2011年8月28日「脱原発・脱石油を誓う2011年の9.11」
○ 2011年7月28日「フクシマからヒロシマへ、ヒロシマから世界へ」
○ 2011年6月21日「脱原発の、その先へ」
○ 2011年5月21日「原発のうてもえーじゃない」
○ 2011年4月21日「『3分の1は原子力』は本当か?」
○ 2011年3月21日「千年前の聖たちのように」
○ 2011年2月21日「この不確実で不完全な世界」
○ 2011年1月21日「小さなタイガーマスクが増えること」
○ 2011年1月1日「平和の灯を高野山へ」
○ 2010年12月21日「台湾ダーランド」
○ 2010年11月21日「千人の垢を流して見えるもの」
○ 2010年10月21日「いのちの多様性」
○ 2010年8月21日「奈良、歴史『再発見』」
○ 2010年7月21日「身延山と日蓮」
○ 2010年6月21日「ボクも坊さん。」
○ 2010年5月21日「仏法は汝らの内にあり」
○ 2010年4月23日「葬式は要らないか」
○ 2010年3月21日「再びオウム事件と仏教について」
○ 2010年2月21日「立松和平さんの祈り」
○ 2010年1月1日「排他的、独善的な仏教にならないために」
○ 2009年12月21日「『JIN』のようにはいかないもので」
○ 2009年11月21日「排他的?独善的!」
○ 2009年10月21日「アフガンに緑の大地を」
○ 2009年9月23日「笑いとため息」
○ 2009年7月21日「臓器移植と『いのち』の定義 続編」
○ 2009年6月21日「臓器移植と『いのち』の定義」
○ 2009年5月21日「『地救』のために何ができるか」
○ 2009年4月21日「アイアム・ブッディズム・プリースト」
○ 2009年3月21日「おくりびとと『死のケガレ』」
○ 2009年1月21日「『伝道師』としてのオバマ」
○ 2009年1月1日「空と海をつなぐ」
○ 2008年10月28日「会津をめぐる」
○ 2008年9月21日「神秘主義」
○ 2008年7月21日「グリーフレス中学生」
○ 2008年5月21日「祈りと行動と」
○ 2008年4月21日「聖火の“燃料”」
○ 2008年2月28日「妖精に出会う」
○ 2008年1月21日「千の風になるとして」
○ 2007年10月21日「阿字の子が阿字の古里…」
○ 2007年8月21日「目覚めよ密教!」
○ 2007年6月21日「昔のお寺がそのままに」
○ 2007年4月21日「空海の夢」
○ 2007年3月21日「無量光明」
○ 2007年2月21日「よみがえる神話」
○ 2007年1月1日「伊太利亜国睡夢譚」
○ 2006年11月21日「仏教的にありえない?」
○ 2006年10月23日「天使と悪魔 ~宗教と科学をめぐる旅~」
○ 2006年9月21日「9/11から5年」
○ 2006年8月23日「松長有慶・新座主の紹介」
○ 2006年7月21日「靖国神社と仏教の死生観」
○ 2006年6月21日「捨身ヶ嶽で真魚を見た」
○ 2006年5月21日「キリスト教と仏教と「ダ・ヴィンチ・コード」」
○ 2006年4月21日「最澄と空海」
○ 2005年9月23日「お彼岸といえば…」
○ 2005年7月21日「お盆といえば…」
○ 2005年4月21日「ねがはくは花の下にて春死なん…」
○ 2005年3月21日「ライブドアとフジテレビと仏教思想」
○ 2005年1月21日「…車をひく(牛)の足跡に車輪がついて行くように」
○ 2004年8月21日「…私は、知らないから、そのとおりにまた、知らないと思っている」
○ 2004年7月21日「鈴と、小鳥と、それから私、みんなちがって、みんないい。」
○ 2004年6月23日「文殊の利剣は諸戯(しょけ)を絶つ」
○ 2004年5月21日「世界に一つだけの花一人一人違う種を持つ…」(SMAP『世界に一つだけの花』)
○ 2004年4月21日「抱いたはずが突き飛ばして…」(ミスターチルドレン『掌』)
○ 2004年3月23日「縁起を見る者は、法を見る。法を見る者は、縁起を見る」
○ 2004年2月21日「…犀(さい)の角のようにただ独り歩め」
○ 2004年1月21日「現代の世に「釈風」を吹かせたい ―心の相談員養成講習会を受講して―」
○ 2003年12月21日「あたかも、母が己が独り子を命を賭けて護るように…」
○ 2003年11月21日「…蒼生の福を増せ」
○ 2003年10月21日「ありがたや … (同行二人御詠歌)」
○ 2003年9月21日「観自在菩薩 深い般若波羅蜜多を行ずるの時 … 」
○ 2003年8月21日「それ仏法 遙かにあらず … 」