仏 教 と現 代

宿坊から眺める現代

 この9月上旬、NHKをはじめ各種メディアから「高野山の宿坊で1億円超の申告漏れ」というニュースが飛び出しました。記事によると、高野山で宿坊を営む複数の宗教法人が、2025年度に大阪国税局の税務調査を受け、法人税・所得税などあわせて1億円を超える申告漏れを指摘され、約6000万円を追徴課税したとのことでした。

 メディアによっては「集団申告漏れ」「宿坊バブル」「どう考えても暴利」など刺激的なフレーズを使った報道もありました。これに対し高野山の関係者やその周辺からは、メディアに対する怒りの声が上がったり、事実誤認を指摘する投稿がネットに載ったりしました。

 実際、「集団申告漏れ」というのは、もともと「集団で納税」するわけではないのでおかしな表現ではあります。また記事をよく読むと、申告漏れ1億円のうちの9000万円、追徴課税6000万円のうちの4000万円が「総持院」のものでした。残りの金額が「税務調査を受けた十数法人」のうちの「半数以上」の合計額なので、事実上これは総持院1か寺の問題といえそうです。にもかかわらず他の寺院と合計して「集団」としたのは、「組織ぐるみ」の悪印象を与えようとしたのではないか、「1億円」という大台に乗せて視聴数を稼ぎたかったのではないか、という指摘をする人もいました。

 私自身この一件を見ながら、宗教法人と税金の関係について一般の人々の間にかなり誤解があるのだなと改めて感じたところです。その主なポイントを5つにまとめてみました。

【誤解1】宗教法人は非課税?
→宗教法人であっても収益事業は課税対象になります

 お寺でいえば、葬儀や法事、儀式や行事、お賽銭など宗教活動に関する収入は非課税ですが、駐車場など不動産経営や宿坊(旅館業)のような収益事業には「法人税」が発生します。最近はインボイスのせいで「消費税」もかかるようになりました。私が住職を務める光明院には収益事業はありませんし、多くのお寺がそうだとは思いますが、一部のお寺は収益事業が課税対象となり、そのほとんどは必要に応じてきちんと税金を納めていると思います。

【誤解2】お坊さんは税金を払っていない?
→僧侶の給与にも所得税はかかる


 まぁ当たり前の話ですが、お坊さんもお寺から一定のお給料をもらえば所得税を払います。うちの寺では私の給与を私が源泉徴収して前期・後期に分けて所得税を納付しています。かつては複数の収入源があったので、その頃は確定申告もしていました。ただ、お寺によってはお給料を出せるほどの収入がないところがあったり、お寺の財布で個人の買い物をしている「どんぶり勘定」なところもあります。ちなみに、もちろん消費税も払ってますよ。消費税も立派な税金です。

【誤解3】申告漏れ=脱税?
→課税対象になるかどうかの線引きの問題


 「申告漏れ」にはいくつかのパターンがあって、大きくは「所得税」に関するものと、「法人税」に関するものがあります。

 所得税に関しては、誤解2の「どんぶり勘定」なお寺がけっこうあるんじゃないかと思います。例えば住職や住職家族に給料を支払わず、お寺の収入の中から住職らの生活費を支払っている「無頓着」なケース。あるいは個人的な支出をお寺の経費として落としている「公私混同」なケース。前者(無頓着ケース)の場合、宗教法人は曲がりなりにも法人なんだから税務をきっちりやるべき、といいたいところですが、業務が複雑なため能力的に難しいお坊さんがいるのも現実かと思います。私だって専門用語と細かい計算だらけの納税業務は本当に嫌です。後者(公私混同ケース)の場合、これは「自営業あるある」かもしれませんが、お寺の場合は特に個人の支出と法人の支出の線引きが曖昧なのです。この食材はお供え物なのか、このガソリン代は檀家回りの分か、このNHKは誰が見るのか… 私の場合はそれなりに按分していますし、できるだけ個人の財布から出しているつもりですが、中には悪質なお寺があることも聞き及んでいます。「高級なべっこうの眼鏡をお寺の経費で落としていたら追徴課税された」という話を聞いたことも。そりゃ当然です。

 次に法人税に関しては、「その収入/支出が宗教活動のものか?それとも収益事業のものか?」という線引きがあります。ひとくちに駐車場といっても、「参詣者限定」なら宗教活動、「月極め」なら収益事業になります。このあたりは分かりやすいですが、線引きが難しいケースでいえば、1人の職員が宗教活動と収益事業の両方に携わっていたり、両方の事務経費が混在していたりすることもあるでしょう。その場合はそれぞれの収入額の割合で按分するという方法を取ることがあります。ただ、どんなに明朗に処理していたとしても、税務署職員によっては厳しい判断をされる場合もあります。宿坊は、朝勤行をしたり瞑想をしたり写経をしたりといった、お寺としての宗教活動の空間の中に、宿泊し入浴し食事をするという旅館業としての収益事業が包まれている形です。究極的には切り離せないのではないでしょうか。

 ちょっと難易度の高い線引き問題としては、「その支出は経費か?それとも資産か?」というものがあります。例えば今回税務調査を受けた高野山の方のお話では、山門の修繕費用(約3000万円)を経費として処理していた、つまり収益事業の支出として全額計上していた(=そのぶん課税対象となる収益が減る)ところ、税務署が「それは山門の資産価値があがったのだから資産として計上しろ」つまり「減価償却しろ」と言われたのだそうです。減価償却とは一つの費用を何年かに分けて計上する方法で、そのぶん単年度では経費計上できる金額が少なくなり、税金が増えます。ふつう、壊れたり傷んだりしたものを直して原状復帰した場合は「修繕費」として全額その年に計上できるはずです。しかし税務署は「山門の価値がアップしたのだから資産だ、減価償却しろ、税金払え」と言ってきたわけで、それはいくらなんでも言いがかりでは?と思ってしまいます。結局は税務署と税理士さんとの交渉の結果、半額を資産計上することになったのだとか。今回の「申告漏れ」の金額の中には、そういったものも含まれているのでしょう。

【誤解4】宿坊の高級化が申告漏れを招いた?
→直接的には無関係


 今回の一件で最もセンセーショナルだったのが「申告漏れ」と「宿坊の高級化」を結びつけた報道でした。中には過去に宿坊に宿泊した参拝者に「暴利をむさぼっている」と言わせたり、SNSで「宿坊が高すぎる」というコメントをわざわざ拾ってきたりしたものもありました。ですが冷静に考えてみれば、宿坊の高級化と税の申告漏れに直接の因果関係はないと分かります。だってそうですよね? たとえ宿坊が高級化しなくても上記のような「線引き問題」は発生し得ますし、宿坊が高級化して収益が増えたとてそのぶん納税するのが普通です。

 ただ、関係者の話を聞くと、かつては多くの宿坊は赤字だったので税金を納めるに至っていなかったのが、近年のインバウンド効果やそれにともなう宿泊費の上昇によって「税金を払えるようになった」ということはあるようです。これは宿坊の経営努力の賜物といってよいものです。ところがそれが税務署の目には「ドル箱」と映ったのではないでしょうか。前述のような「どんぶり勘定」のお寺も確かにあったかもしれません。とはいえ税務署としても期待した「成果」は上げられなかったので、やむを得ず「資産だ、減価償却だ」という対応になったのではないか、と私は想像します。

【誤解5】高野山の宿坊は昔は「良心的」だった?
→かつての宿坊が安かったのにはそれなりの理由がありました


 「宿坊の高級化」に不信感を抱いている人の中には、過去に実際に宿坊に泊まったことのある人もいるのでしょう。確かに近年、一部の宿坊は高級志向を打ち出していますし、そうでない宿坊も押しなべてずいぶん高くなったと思います。それは言い換えれば、かつての宿坊は「安かった」ということではないでしょうか。

 ではなぜ、かつての宿坊は安かったのか。要因の1つは、高野山の宿坊の特殊な立場にあります。高野山には現在、100以上の塔頭(たっちゅう)寺院すなわち金剛峯寺の子院があり、約50か寺の宿坊があります。それらは日本全国に「配下」の寺を抱えており、そこから様々な形で経済的な支えを受けてきました。地方寺院が子弟を養成しようとすれば高野山のお寺に頼んで「保証人」になってもらいますし、地方寺院が高野山に団体参拝をすればそのお寺に宿泊して永代供養を頼んだり祈願を申し込んだりします。ところが近年、地方寺院も経営に余裕がなくなってきて、高野山を支える力が弱まっているのではないかと思います。宿坊側としてはある面、仕方なく宿坊の収益を増やす方向に舵を切らざるを得なかったのです。前述の「かつて多くの宿坊は赤字だった」のに成り立っていた理由は、宿坊事業の赤字を補填するだけの経済力が宿坊にあったということでしょう。

 要因の2つ目は、宿泊スタイルの変化です。過去の大きな行事の際、高野山の宿坊は部屋が人であふれかえり、ひしめき合って雑魚寝したものです。お風呂は狭く、冬は寒く、食事も質素でした。でもとにかく高野山という聖地に泊まれる有り難さが優先し、それほど文句は出なかったのだと思います。しかし徐々に日本人の生活が豊かになり、一般的な旅館やホテルとしての快適さを宿坊も求められるようになりました。宿泊費の高騰は「顧客ニーズに応えた結果」といえるのかもしれません。

 要因の3つ目は、かつての宿坊は高野山大学に通う学生が多く寝泊まりしており、彼らが朝な夕なに宿坊の仕事をしていたからです。彼らはお小遣い程度のバイト代をもらうか、場合によっては無賃労働でした。つまり学生のただ働きによって宿坊は成り立っていたのです。案外これが一番大きな理由かもしれませんね。高野山大学の学生は多いときには1000人を超えていました。それが近年はその10分の1程度にまで激減しています。現在、名目上は300人程度が在籍していることになっていますが、その中にオンライン聴講や通信課程の社会人学生が相当数含まれています。また、実際に高野山で生活する高野山大学生も、かつてのように宿坊で働く人は多くありません。宿坊は今、決定的な人員不足に陥っているのです。

 こうして見てくると、「宿坊の高級化」は必然的な流れのように思えてきます。


 さて、そうはいっても、今回の申告漏れで大きな割合を占めた総持院についていえば、これはかなり問題があったのは間違いないと思います。「公私混同」にしたって金額が大きすぎますし、発せられた「声明」を読んでも意味がよく分かりません。お寺の信頼だけでなく高野山そのものの崇敬を損ないかねない事態です。厳正な対処が求められるでしょう。

 最後に、今回の件を時代の流れの中で俯瞰して見ると、それはそれで興味深い現象のようにも思えてきました。「宿坊の高級化」という話題が多くの人にとってセンセーショナルな感情を掻き立て、高野山に非難が集まるというその意味を考えてみると、これはある種「時代の鏡」ではないかと感じるのです。

 かつて第一次大戦から第二次大戦までの「戦間期」の日本では、インフレと好景気に乗って一部の富裕層がますます豊かになった一方で、都市労働者や農村の人々は貧困を極め、貧富の差が拡大しました。そんな彼らの怨念が暴発して、井上日召ら血盟団による財界人の暗殺や、青年将校による五・一五事件、二・二六事件などを引き起こしました。

 そして今また「戦後最長の好景気」といわれる一方で、インフレが進んで多くの庶民は物価高に苦しんでいます。インフレは金融資産や不動産を所有する人はより豊かになり、そうでない人の生活は困窮します。ところが政府は「積極財政」を掲げて野放図な財政出動を繰り返しています。その結果、円安が進んでますます輸入品は値上がりし、物価高は庶民の暮らしを直撃するという悪循環。私には何となく「あの時代」に似た感覚が広がるのではないかと気がかりです。

 宿坊の窓から見える風景は案外、現代社会の暗部であるのかもしれません。

2026年9月21日 坂田光永





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○ 2005年3月21日「ライブドアとフジテレビと仏教思想」
○ 2005年1月21日「…車をひく(牛)の足跡に車輪がついて行くように」
○ 2004年8月21日「…私は、知らないから、そのとおりにまた、知らないと思っている」
○ 2004年7月21日「鈴と、小鳥と、それから私、みんなちがって、みんないい。」
○ 2004年6月23日「文殊の利剣は諸戯(しょけ)を絶つ」
○ 2004年5月21日「世界に一つだけの花一人一人違う種を持つ…」(SMAP『世界に一つだけの花』)
○ 2004年4月21日「抱いたはずが突き飛ばして…」(ミスターチルドレン『掌』)
○ 2004年3月23日「縁起を見る者は、法を見る。法を見る者は、縁起を見る」
○ 2004年2月21日「…犀(さい)の角のようにただ独り歩め」
○ 2004年1月21日「現代の世に「釈風」を吹かせたい ―心の相談員養成講習会を受講して―」
○ 2003年12月21日「あたかも、母が己が独り子を命を賭けて護るように…」
○ 2003年11月21日「…蒼生の福を増せ」
○ 2003年10月21日「ありがたや … (同行二人御詠歌)」
○ 2003年9月21日「観自在菩薩 深い般若波羅蜜多を行ずるの時 … 」
○ 2003年8月21日「それ仏法 遙かにあらず … 」



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